見出し画像

祐気取りの旅 熊野(2)浄土の入口にて

 朝日に輝く太平洋を眺めながら、特急「くろしお」は紀伊田辺に到着しました。ここからは熊野古道の「中辺路」。と、ここでも現代のヤワな私は迷わずバスを選択。深い山中を大胆に駆け抜けるバスの車窓から、前日の寒波でうっすら積もった雪が見えました。

 今日参拝する熊野本宮大社へは、20年以上前に訪れたことがあります。大社は確かに厳かで、満足ゆく参拝ができたのですが、門前には昼食を摂る店もない。雨に降られて喫茶店に飛び込むと、ひょっとして反社の方々?と疑いたくなるような会話が展開され、食べ終えるやいなや、そそくさとお店を後にしたものです。
 
 それがまぁ、立派な観光案内所はあるわ、熊野本宮館という展示スペースはあるわ、お店もたくさんできて賑わっているわでびっくりしました。おかげで門前は明るくなり、反社の匂いなど微塵もありませんでした。
 分かりやすく、訪れやすいように整備されるのは、実に結構なこと。世界遺産に登録されるって、こういうことなんですね。そりゃあ、全国の観光地が世界遺産登録を目指すはずです。

 熊野本宮大社へお詣りする前に、まず目に入ったのは熊野の山並みの美しさ。晴天も手伝って、山と青空のコントラストがくっきりと鮮やかで、冬の澄んだ空気を胸いっぱいに吸い込みました。

熊野の山並み

 さあ、熊野詣が始まります。まずは熊野本宮大社へ。
 鬱蒼とした杉木立の中、長い石段が続き、息を切らしつつ登りましたが、翌日の地獄を知る今から思えば、まったく序の口でございました・・・。
 私のような俗人でも、心静かに手を合わせれば清々しい気持ちになるもので、石段の上りと下りでは心持ちがまったく異なるように思えます。

さすが全国の熊野神社の総本宮。威厳に満ち溢れています。


熊野と言えば八咫烏。三山それぞれポーズが違うとは・・・。

 熊野本宮大社はもともと熊野川・音無川・岩田川の合流地点の中州にありましたが、1889(明治22)年の洪水で社殿が流出し、高台に移されました。元の社地は大斎原(おおゆのはら)と呼ばれ、現在は日本一の大鳥居に守られ、そのままの状態で保たれています。前回は大斎原の存在を知らず参拝しなかったため、今回は是非参拝をと願っていたところです。

 大斎原は熊野本宮大社から徒歩5分ほどの場所にありますが、この大鳥居の威厳ある佇まいたるや、言葉が出ません。また参道の両脇は田んぼで視界を遮るものがなく、大鳥居まですっきりと見渡せます。私は今どんな時代にいるのだろう。太古の昔と同じ景色を見ているのではないだろうかと感動を覚えました。青田が波打ち稲穂が頭を垂れる光景は、さぞ美しいことでしょう。 

大斎原の景観を守るプロジェクト「企業の田んぼ」
モスバーガーさん、やるねー!

 個人や企業の寄付もあって景観が守られているようで、こういう企業はぜひ応援したいもの。ただ、鹿が草などを食い荒らしてしまうようで、各所にネットが掛けられていました。・・・鹿には協力を仰げませんものねぇ。

 大斎原には二基の石祠が祀られているだけで、他には何もありません。その広々とした清々しい空間が、かえって神の存在を感じさせます。
 参拝を終え旧社殿の裏手に出てみたところ、そこは静かな川でした。聞こえるのは川のせせらぎと鳥のさえずりだけ。ここは賽の河原に違いないと、向こう岸はあの世だと思いました。

ここはまさに賽の河原
この世のものと思えぬ光景

 山と川と石のほか、まったく「何もない」のです。ここも大昔から変わらない景観に違いないと思わされました。普段あまりにもたくさんのものを視界に入れているせいか、「何もない」ことに落ち着かなさを感じていたものの、次第に心の波が鎮まってゆきました。

 熊野は浄土への入口。浄土へお参りし、元の場所に帰ることは、死と再生を意味するそう。あの時私はまさに、浄土の入口に立っていたのだと思います。

いいなと思ったら応援しよう!