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なんでも読みます(7)子守唄を読む

 空には絵に描いたような入道雲。なのになかなか雨は降らない。横断歩道の白線が反射して目にしみる。今日も灼熱の一日だ。夕立でも降って、街の熱気を連れ去ってくれたらいいのに。 
 今日のお客様は50代半ばくらいだろか。きちんとした佇まいの女性だが、どこか寂しさがうかがえる。
「今日はこれを読んでいただきたいんです。」
差し出されたA4の真っ白な用紙には、歌詞と思しき言葉が印字されていた。

「ねんねんころりよ おころりよ ぼうやはよい子だ ねんねしな
ぼうやのお守りはどこへいった あの山越えて 里へ行った 
里の土産に何もろた でんでん太鼓に笙の笛」

「眠れよい子よ 庭や牧場に 鳥も羊も みんな眠れば
月は窓から 銀の光を注ぐこの夜 眠れよい子よ 眠れや」 

「眠れ 眠れ 母の胸に 眠れ眠れ 母の手に」

「子守唄ですね。私も覚えがありますよ。3つ目はシューベルトですね。」
「ええ、そうです。幼い頃、母が私の背中をとんとんとたたきながら、この3つの唄を代わる代わる唄ってくれました。今回歌詞を書き写すために調べてみたら、2曲目の子守唄はモーツアルトの作でした。シューベルトの子守唄はまだ続くのですが、母はうろ覚えだったのか、ここまでしか聴いたことがありません。」 
 人に読んでもらうものだからと、きちんと調べて持ってこられていることに、彼女の几帳面さが感じられた。子守唄なのだから、本来ならば唄ったほうがいいのかもしれないが、できるだけ心地よくなってもらえるよう、ゆったりと朗読してみた。
 読んでいる私まで、心が落ち着いてきたように思える。何度か繰り返し読んだ後、彼女は語り始めた。

「一人で暮らしているのですが、寂しくてどうしようもない夜や、熱が出たりして体調が悪い時、考えごとをして眠れない夜などに、心の中で唄うんです。『大丈夫、大丈夫。なんとかなるよ。』って言い聞かせるように。」
 子守唄を聴いて安心して眠っていた頃の記憶が、今も彼女を支えているのだろう。

「昨日の夜もベッドの中で一人でつぶやき、ようやく眠りにつきました。いつもならそれでよかったんですが、ふと誰かに唄ってほしいと思ったんです。それが無理なら、せめて読んでもらおうと思って。」
 そういうわけで、訪ねて下さったんですね。
「私でよかったら、唄いましょうか?・・・お母様には及びませんが。」
 私には子供がいない。だから唄ったことはないけれど、昔を思い出しながらくちずさんだ。

 昨夜の彼女の心には、一人で唄うだけでは収めきれない感情があったのだろうか。問わず語りに言葉がこぼれる。
「もう50代も半ばになってしまったんですが、妻でもなく母でもなく、かといって仕事一筋に生きてきたわけでもありません。何をやっても中途半端な、ダメな人間です。人に気を遣うし、責任感が強いので、会社ではきちんと仕事をする人と評価されてきたのですが、本当は失敗しないように緊張しているので、いつもいっぱいいっぱいで。そんな状態が続くとつらくて、会社から逃げ出してしまいたくなってしまうんです。だから何度も仕事を変わりました。私はどこで人生を間違ってしまったんだろうと、このごろつくづく思います。そのたびに子守唄を聴いていた幼い頃に戻って、人生を一からやり直せたらと思うんです。・・・やり直しのきく年ではないことは、よく分かっているのに。」

 とてもまじめな人なのだと思った。いつも正解を求め、自分の感情よりも、周りの期待に応えることを自らに課してきた人なのだと。
「失礼ですが、お母様はお元気ですか?」
「ええ、元気にはしています。ただ、施設に入れてしまったことを、ずっと申し訳なく思っています。」
「十分に考えて、悩んで、施設に入れることを決断されたのだと思いますし、できることは十分になさっているのではないですか?」
生真面目な彼女のことだ。きっとそうに違いない。

「それでよかったんですよね?私は間違ってませんよね?」
彼女の声はそれまでと異なり、即答を迫る力に満ちていた。

「ええ、それでよかったんですよ。間違っていませんよ。大丈夫ですよ。」
 彼女の気迫に圧されてそう答えてしまったのか、いや、これは私の本当の気持ちだ。それでよかったのだと、彼女は心の中で思っている。あるいはそうしかできなかったのかもしれない。でも誰かに同意してほしい。そして納得したいのだ。その気持ちは痛いほどわかる。  
 そもそも決断や人生に、正解や不正解などないはずだ。いつもグレーで、どちらにも転べるシロモノだ。でもなぜか正解を迫られる。それは他人からかもしれないし、ほかならぬ自分なのかもしれない。だからこそ、それでよかったのだと、大丈夫なのだと、誰かに言ってほしいのだ。子守唄を聴いていた頃のように、誰かに安心させてほしいのだ。
 
 彼女は幼い子供に戻ったように、しゃくりあげていた。私は彼女の背中をとんとんとたたきながら、何度も何度も子守唄をくちずさんだ。

 彼女がようやく落ち着きを取り戻したので、小部屋から出て、マスターにカフェオレを2つ注文した。あんなに晴れていたはずなのに、ゲリラ豪雨がドアのガラスを容赦なく打ち付けていることに、私は初めて気が付いた。

「すみません、取り乱してしまって。」
「いいえ、いいえ。私にもそんな気持ちの時がありますから。大丈夫ですよ。今、外はね、すごい雨なんです。でもきっとすぐに止むと思います。だからカフェオレでも飲んで、ひとやすみしましょう。」

 思った通り、雨雲は10分ほどで去っていった。最近の夏の日暮れに降る雨は、夕立という情緒ある名前の雨とはほど遠く、スコールのような降り方をする。そんな雨をゲリラ豪雨と呼ぶようになったのは、いったいいつの頃からだろう。目の前が見えなくなるほど激しく降って、ぴたりと止む。そんな雨の降り方に慣れてしまった頃から、白黒や善悪、正解や不正解といった2つの局面しか、世の中が許さなくなっているような気がしなくもない。
 
 どうか今夜の彼女が、子守唄をつぶやかなくても、ぐっすりと眠れますように。

お望むみのものを、なんでも読みますよ。
時には唄も唄います。
あなたのお越しを心からお待ちしています。

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