今こそ彼にいてほしい~中村勘三郎丈の十三回忌に寄せて~
「この方がいま生きていたら」と思う方が数人います。溢れるばかりの才能で、他の誰にも真似できないものを作り出し、風のように去ってしまった方々。同時代の天才たる彼らがいまこの世にいたとしたら、どんなものを生み出したことだろう。その中の筆頭格と言える十八世中村勘三郎丈の、今年ははや十三回忌。いつの間にかそんな月日が流れたのですね。
私が歌舞伎にハマって足繁く通っていた頃は、彼はちょうど脂の乗り切った全盛期。幸いなことに、いろいろなお役を拝見することができました。
舞台に登場すると、そこだけがぱぁーっと明るくなり、見る者の心をかっさらってしまうような、本当に華のある役者さん。ある時は楽しげに、時にはしみじみとした口跡も鮮やかに、芝居が心底好きで、芝居をする楽しさがひしひしと伝わってきて、役者との一体感を味わえたのは、この方をおいてほかになかった気がします。
なかでも忘れがたいのは、大阪松竹座のこけら落とし公演で五世中村富十郎丈と舞った「三番叟」。思わず舞台に駆け寄って一緒に踊りたくなりました。そんなノリのよさやトランス状態を日本舞踊に感じたのは、初めてのことでした。
「身代座禅」の山蔭右京は遊び人の面目躍如たる色気を感じさせ、「忠臣蔵」の大星由良之助を勤めれば風格がみなぎります。そして「鏡獅子」は自家薬籠中のもの。小姓弥生のかわいらしさと鏡獅子の雄々しさの演じ分けは、何度見ても見ごたえがありました。
そして「平成中村座」。
芝居小屋から作ってしまおうというバイタリティは、この人くらいしか持ち合わせないものでしょう。幕間には江戸時代の装束を身に付けた役者さんが、芝居さながらに場内を闊歩し、喧嘩まで巻き起こしてしまうという、役者も客も一体となることのできる、見事な演出でした。江戸時代の歌舞伎って、こんなに気楽に楽しめたんだと、いつしか「見物」ではなく「鑑賞」に祭り上げられてしまった歌舞伎の悲哀を感じ、原点に立ち返る「平成中村座」を作った意味がよく理解できました。
もし令和の今の世に、十八世中村勘三郎丈が生きていたら、古稀手前。まだまだ現役で舞台に立っていたはずです。歌舞伎だけでなく様々な演劇人とのコラボレーションも展開されたことでしょう。
思えば歌舞伎からすこし遠ざかったのは、彼が亡くなってからでした。他にも贔屓の役者さんはいるものの、歌舞伎界に惹きつけられていた強力な糸が、ぷつんと切れてしまった気がします。
人々は足を引っ張り合い、自由やゆとりが失われ、面白味が薄れてしまったこのうっとおしい今の世を、彼ならどう受け止め、どんな風穴をあけてくれただろうかと、十三回忌を迎える今、彼が懐かしくてなりません。
命日は確か師走だったはず。溢れる才能とエネルギーとともに、風のように逝ってしまった人でした。