字が乱雑な人に考えて欲しいこと

私は極彩色の情報を見たくない。

掃除・断捨離を「情報の整理」と考える。

埃は「拭かなければならない」「はたかなければならない」情報。
要らないものは「捨てなければならない」
要るのか要らないのか分からないボーダーなものは「保留にしなければならない」

全部、情報と考えていて、「〜〜しなければならない」で頭がいっぱいになる。

そこでふと気が付いた。

私が仕事で校正をする時、汚い原稿を異常に嫌っている理由が分かったのだ。

汚い原稿には、しなければならない情報が多すぎて、脳の処理がパンクする」からだ。
そんでオーバーヒートしてブチギレる。

汚い原稿はまず、
・日本人が書いた手書き文字を解読して
・日本語に翻訳して(↑日本人が書いたのにな)
(・そういう人はPDFのコメントやメール等の電文でもだいたい日本語になっていないので翻訳する)
・なんの意図を以って書いたものなのか推測
・その推測とゲラが一致しているか考える。だいたい長考になる。
をしなければならない。
まず、だよ。まず最初にこれしなきゃいけないの。一文一文に対して。
図のレイアウト指示も関連づけてなんやかんやしてたら校正者が莫大な作業量をこなしているのは分かるはずである。

綺麗な原稿なら、上ふたつの項目はさっぱり削除できるし、推測が長考になることは多くない。
それだけでどれだけ時間の短縮になるだろう。

だいたいそういう人はメールの文章もとっ散らかっている。
クライアントの開発と広報のメールのやりとりを打ち出したものが原稿の資料として添付されていることがあるが、まあ何の話しとるんすかあんたがた、としか思えないメールのやりとりで呆れ返るのだ。

他人に余計な労力を使わせることが仕事だと思っているなら、いますぐ辞めろ。
この時代にスマートに仕事をしようとする気概すらないなら社会から隔離されるべきである。引きこもって税金だけ払ってろ。

とリアルに表立っては言えないので、ここに書くしかないのが歯がゆいところである。

字が汚いのは仕方ない部分もある。
が、他人に見せる以上、丁寧に書くことを意識してほしいのである。
というか、意識しない人ってやばくないか。
丁寧に書けば元が綺麗な字じゃなくてもまあ何とか解読出来る。
気概や努力など、どんな気持ちで書いたのかも、校正者は一発で分かる。
気概がなければそれ相応の校正で済ますまでである。そして理論武装をして責任を負わないようにするだけである。


将来的に校正・校閲がAIになるからなくなるとか、くずし字がAIで読めるようになるから解読出来る人は要らなくなるとか、
はっきり言います。
そんな時代は来ません。
先述のような汚い原稿しか作らないクライアントがいる限り。
くずし字だって、昔の人だってテキトーな文章しか書かん人がいただろう。解読して現代語に翻訳して意味を理解する。
そういう人間は要る。居なくてはならない。

現に校正・校閲を通さず発売してしまった書籍なんぞにおかしな誤字やダミーが残ってたりなんだりかんだり当たり前のように存在しているのだから。
それでも完全に要らないと主張するなら著者も編集も完璧超人なんだろうな。そういう書籍にならおかしな誤字は無いかもしれない。そういう職場行きてーわ。

仮に校正・校閲者やくずし字を理解する人が完全にいなくなる時代が来るとするなら、AIはあらゆるパターンの人間の思考回路を完全に読み解けるだろう。いつになるやら。

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