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父は大腸癌、母は認知症 溢れる涙〜自宅での看取り 第5章

父の退院

父の退院が決まり急ピッチで準備が始まった

幸い、母のお世話をしてくれているケアマネさんがテキパキと動いてくれて準備は着々と進んだ

ポータブルトイレの準備 介護ベッドの手配 ベッドの柵 廊下・玄関

浴室 トイレの手すりなど準備するものはたくさんあった

介護申請〜仮登録 かかりつけ医への連絡まで

ケアマネさんには本当にお世話になった

そして最短の時間で準備を整え退院することができた

退院の日当日

いつものように母をデイサービスに送り出し

夫と二人で病院に向かった

父はまだ病室で病衣のままだった

3ヶ月ぶりにズボンを履きシャツを着て靴をはいた

二人がかりで車椅子に乗せ病院を後にした

父と母は2人でデイサービス

この日から自宅での介護が始まった

私は父と母2人をデイサービスに送り出し

仕事に出かけるという日々が始まった

私が仕事に行けたのは介護施設のおかげだった

週5回 父と母はデイサービスに通った

私は仕事から帰ると2人にご飯を食べさせた

ご飯を食べると7時ごろから二人は眠りについていた

途中トイレの世話や着替えなど手伝うこともあったけれど

ずっと介護を必要とするほどではなかった

父親の方は少しづつ回復しているようだった

毎日デイサービスに通うことで体力もついてきた

母親の方も認知症はそんなに進行していなかった

しかし、心臓や肺の具合が悪くなっていた

利尿剤を大量に飲むので脱水症状を良く起こした

母の入院

母は 9月と1月と4月

3回緊急入院をした

4月の退院の時 心臓がかなり弱っているので

施設に入ったらどうか?と勧められた

それも選択肢のひとつかなと考えたりもした

その後しばらくは2人でデイサービスに通っていた

母の具合が悪くなる

7月に入って私たち夫婦は旅行に出かける予定だった

旅行などで介護者が不在になるときは

「ショートステイ」を利用し泊まらせてもらうことができる

すでに何回が利用したことがあった

今回も利用する予定だった

しかし母の容態があまり良くなく

6月の終わり頃から食欲がなくなり困っていた

普段からそんなに食べる方でもないので

栄養剤や流動食的なもので凌いでいた

7月に入ってもあまり良くならず

少しづつ体力がなくなりフラフラするようになっていた

でも夏が過ぎたら良くなるだろうぐらいに考えていて

旅行の予定はそのまま

ショートステーの予定もそのままだった

旅行の3日前くらいになっても母はあまり良くならなかった

旅行は諦めることにした

母の最期のとき

その翌日 木曜日朝 

母は相変わらず何も食べず

でも意識ははっきりしていて私に仕事に行くように言い

その日はデイサービスに行きたくないと言った

仕方がないので

父にも休んでもらい一緒に居てもらった

夕方私が帰宅すると母は、うたた寝をしていた

あまり調子が良さそうではなかった

汗をかいていたので着替えさせて

私たちは父と3人で夕飯を食べた

そのわずかな時間で母は帰らぬ人となった

本当に安らかなあっけない最期だった

しっかり者の気丈な母

周りに迷惑をかけたくないといつも言っていた母

お互い気が強く喧嘩ばかりしてたけど

安らかな最後を迎え

「えらかった、えらかった」と母を褒めてあげた

悲しいと言うよりも安堵感で涙が溢れた

人は誰でも最期の時を迎える

自分の父親や母親の最期を思う時

どんな最後を迎えるのだろう?と心のどこかで心配しているはず

私もそうだった

苦しむ姿を見るほど辛いことはないだろう

実の母親とはいえ介護する立場としては

苦労なんて言ったらバチが当たるかもしれないけど

綺麗事じゃなく大変な日々が続いていた

静かに安らかに最期を迎えた母に感謝の気持ちしかなかった

そして私もこんな風に

静かに最後を迎えたいと思った〜

介護の日々は2年足らずだった

最期の時間を、可愛い娘と一緒に過ごすことができ

最期の時を自宅で迎えることが出来た母

こんな幸せは人はいないよ!

と母に言ってあげたい・・・

でもね、父を残して行くなんて、それはひどい

私の介護の日々はまだまだ続く

             続きは第6章で〜