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「欲望の器」としての聖徳太子〜サントリー美術館特別展「聖徳太子 日出づる処の天子」に行って〜

はじめに

こんにちは、みのくまです。

ぼくには毎月一回、どこかの美術館や博物館、または遺跡やらなんやらを観に行くという課題があるのです。課題とは言っても自分で自分に課しているだけなんですけどね。

ぼくは超絶インドア派なので、こういう課題を課さないと本当に外に出ないのです。まだ時間も体力もあるうちにいろんなものを観なきゃいけないですからね。というわけで今月も行ってきましたので、そのレポートを書きたいと思います。

千百年御堂忌記念特別展「聖徳太子 日出づる処の天子」

今月の課題に選んだのは、サントリー美術館で開催中の特別展「聖徳太子 日出づる処の天子」です。もうね、タイトルでお分かりになりますように、不動の名作、山岸凉子「日出処の天子」まんまですよね。これはもしかしたら原画も拝めるかも、、、と思いまして行ってきました。

東京メトロを乗り継いで乃木坂駅下車。

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乃木坂って、まあ端的に言えば六本木なわけですけど、いけ好かない街ですよね。そういえば「AKB48」の姉妹ユニットに「乃木坂46」というアイドルグループがありますけれども、あれってつまり六本木の美少女軍団ということで、ぼくはどうも乗れなかった覚えがあります。

「AKB48」は秋葉原が本拠地で、そこにはちょっとオタク文化への目配せがあったわけです。「リア充」な人たちにはわからないだろうけど、ぼくたちオタクはオタクでかっこいいことやってやるぜ!という屈折した気合いが根源にあったと思うんですよね。

でも「乃木坂46」はそういうものはない。美少女たちが六本木の地名を冠したグループ名のもと、スカートをひらひらしながら踊っているわけです。ちょっとそれはあまりに資本主義に媚びすぎというか、いままでの「AKB48」のコンセプトを裏切りすぎじゃないかと感じました。

とはいえ、ぼくはそんな熱心なアイドルファンでもありませんので、よく知らずに何かを言及するのはこれくらいにします。閑話休題。

目指すサントリー美術館は、東京ミッドタウン内にあります。もう高級店がたくさん入っているショッピングモールでして、気後れしながら行ってきましたよ。

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11時ごろに入館して、気がついたら12時半を回っていました。とにかく集中して鑑賞できましたね。それだけ面白かったし、あと他の鑑賞客のマナーもよかったのでとても居心地がよかったです。さすが上流階級の巣窟。

「欲望の器」としての聖徳太子

展示内容は、聖徳太子その人というよりは、「聖徳太子信仰」に重点が置かれていました。展示冒頭からやけにキリリとした稚児姿のショタ聖徳太子が印象に残りました。

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(※聖徳太子二歳像。鎌倉時代に作られた太子。こんな子どもイヤだわ。。。)

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(※聖徳太子童形立像(孝養像)。十歳くらいかなぁと思うけど、この像もキリリとしている。この像はそこまでではないけれども、眉間にシワがよっているバージョンもいくつかあった。「さとり」とはちょっと異なるお顔つきにみえる。)

展示を見ていると、鎌倉時代以降に色々な太子の像が作られているように感じました。鎌倉時代はやはり武士台頭の時代ということもあるのか、童形ながらも険しい表情をした太子が多かったですね。

他方、こんなユニークな太子像もありました。

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(※聖徳太子童形立像(植髪太子)。この写真だと見えないかもしれないが、聖徳太子像に頭髪が植えられているため「植髪太子」と呼ばれている。像全体からも異様な印象を受けるが、さらに髪が垂れ下がっていることで、正直こわい。)

これらの太子は、戦乱の世のなかで人々に救いをもたらす救世観音としての太子を表していると思われます。子どもながら超越した存在になっているのですね。

他方、時代が下っていきますと、いろいろな聖徳太子が描き出されます。

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(※聖徳太子勝鬘経講讃図。当時最新だった勝鬘経を講義する太子。学者肌の一面も垣間見える。)

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(※馬上太子像。物部守屋との崇仏VS廃仏戦争時の太子。この太子は武人としてリスペクトされているのがわかる。)

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(※一番有名な聖徳太子像。堂本印象筆。近代日本の求める太子像であろうか。この太子は学者でも武人でもない。かといって上記の堂形像よりも若々しい。)

そして!言わずもがなこの人!

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(※山岸凉子「日出処の天子」より厩戸皇子。この太子は同性愛者でありながら異能者。ツンデレ。そして美しい。)

こうしてみると、聖徳太子の軸になるキャラクターは存在しないのではないかという気がしてきます。上述したどの太子も、それぞれの魅力があるけれども同一人物だと思えない。

例えば織田信長や豊臣秀吉、源頼朝や平清盛、最澄や空海、天照大神や素戔嗚を思い返してみれば明白ですが、いろんなフィクションに登場する彼ら彼女らには軸となるキャラクターが存在します。織田信長ならば怒りっぽくて、源頼朝ならば冷徹で、みたいな性格付けがなされています。

しかし、聖徳太子はそれがありません。業績だけが明らかであり、それ以外の人物像は、それぞれの時代の要請や創作者の意図によってその都度作られていきます。つまり、聖徳太子は「欲望の器」なのです。

聖徳太子は、有名な「日出処の天子〜」の書き出しで、当時世界最大であった隋帝国に喧嘩を売ります。それは日本が隋の冊封体制から独立するための戦いでした。その後、隋唐の律令制を導入し、日本という国柄が成長していくわけですが、その端緒は間違いなく聖徳太子に求められるでしょう。

日本の歴史のなかで、最重要人物である聖徳太子という人物が「欲望の器」である、ということが何を意味するのか。日本とは何か、日本人とは何かを考える上で、これは大きなヒントになるのではないかという気がしています。

おわりに

戦後、GHQの将校たちの夜の街として発達した六本木で、日本の成り立ちのキーパーソンである聖徳太子について学ぶ、という倒錯した経験をしました。

サントリー美術館を出ると、そこは東京ミッドタウンの3階です。高級ブティックが立ち並び、人々が買い物に興じています。

この光景を太子が見たらどう思うでしょうか。ぼくには太子という人間が全く理解できていないことに気がつきます。

太子はどういう人だったんだろうか。彼は、少なくとも生前は「欲望の器」なんかではなく、一人の確固とした人間として生きていました。ぼくは、太子がどんな人だったのか、ちゃんと理解したいと思います。

本記事では山岸凉子に触れましたが、最後に梅原猛にも触れなければいけないでしょう。山岸凉子「日出処の天子」のタネ本になった梅原猛の名著「隠された十字架」が、ぼくにとってのバイブルだからです。

「隠された十字架」に色々な批判があるのは知っています。ですが、梅原猛がこの本でやろうとしてたこと、やろうした態度には、ぼくは最大限のリスペクトを持っています。

梅原はこの本で、聖徳太子の不遇な人生を描き出しました。梅原は太子に対する新説を嬉々として提示したわけではありません。梅原は、忘れられた太子の無念を白日の元に晒そうとしたのです。

ここに、先程来書いている「欲望の器」以前の太子を呼び戻そうとする梅原の態度を見ることができます。梅原は(史実ではなく)真実を追求することで、聖徳太子に人格を与えようとしたのでした。

さて、これで2021年度の美術館・博物館鑑賞を打ち止めです。今年は充実した鑑賞ライフを送れたような気もするし、まだまだだったような気もします。いずれにせよ、今後もこうしてnoteにレポートを書いていきたいと思っています。

ここまで読んでくださいまして、本当にありがとうございました。

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