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不自由と自由は同義語

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應無所住而生其心
まさにじゅうするところなくしてそのこころをしょうずべし
     不動智神妙録 沢庵
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真理を求めて
幸せを求めて
そう言って、何かしらの精神修養に励むとき

最初に行き当たるのが
自分の心と向き合う事

坐禅、瞑想、呼吸法など
自分の心を散らさないようにするために
欲望、煩悩、感情、悩みに、心を持っていかれないために

でも、そんな心の訓練は
あくまでも一時的な方法

ずっとこんなことをしているのは
息がつまるほど不自由な事

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例えば、雀の子をネコが捕まえてしまって
二度とそういうことがないようにと
ネコに縄をつけ、少しも油断せずに縛り付けておく

そういうことを、自分の心にもやるのだが
それはとても不自由で
思うままにふるまえないため
自分の本来の持ち味、良さ、才能は発揮できない

そんなことをするよりも
ネコが雀をとらぬよう、しっかりと躾けて
一緒にいても大事なようにしておくのであれば
それぞれが自由に動くことができる

ネコにしてみたら、少々我慢どころではあるのだが
それでも、縄で縛られて、縄の長さの分しか動けないよりは
よほど自由であろう

雀というものにさえ、こだわらなければ
自由なのだ

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人はこだわるから、悩み、苦しみ、迷う
こだわりを捨てようと、自分の心を縛り、不自由の中で生きている

こだわりを手放してみたら
そこには、限りなく広がる世界が待っている

自分のものと、他人の物
好きなモノと、嫌いなモノ
何かとの比較
(これはもう、自他の分別がある)

こういった「分別の知恵」に寄って
迷い、苦しみ、悲しみが生まれるのだ

「自分」なんてものは
この大きな宇宙の中の一粒の砂に等しいもので
そんなものが一生懸命自己主張したところで
滑稽ではないか

砂浜に行き、その砂の一粒が
俺は、こんなにすごいんだ!!と、のたまっているに等しい

こだわりを捨て、この自然の摂理に身を任せている時
心はのびやかに自由に動くことができ
己の真の才能に気が付く

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