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前略、道の上より

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木鶏子夜に鳴く
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昔、中国に闘鶏を育てる名人がいた
名人の噂を聞きつけた闘鶏好きの皇帝が
名人に命令した

「私のために強い闘鶏を育ててほしい」

名人は早速闘鶏の訓練を開始した
皇帝は闘鶏が育つのを心待ちにしていたが
気が短い性格なのか

数日経ったころ我慢できずに名人に問いかけた
「もう闘わせてもよいのではないか?」

しかし名人は首を横にふる。


「いえ、まだまだです。ゆっくりお待ちください」


しかたなく皇帝はもうしばらく待つことにしたが
また数日経つと名人に尋ねた

「そろそろ強くなった頃合いだろう
闘わせてもよいのではないか」
しかし名人はまた首を横に振って


「いえ、この鶏はまだ虚勢を張っています
闘わせるには未熟です
もうしばらくお待ちください」


残念な気持ちを隠しきれない皇帝であるが
名人が言うのだから仕方ない

しかし我慢ばかりもしていられず
しばらくするとまた同じように戦わせるように命じる

それでも名人はなかなか首を縦にふらない

「他の鶏を見ると興奮してしまう」

「まだ気負いが垣間見られる」

満足のいく状態には仕上がっていないのだと
皇帝の言葉を幾度となく退けた


そんなやりとりが繰り替えされ
数十日が経過したある日

ついに名人は満足のいく鶏に仕上がったといって
1匹の闘鶏を皇帝に献上した

そして、皇帝にこう告げた


「どれだけ強くても、その強さを見せびらかしたり自惚れているあいだは本物ではありません

虚勢も威嚇も興奮も気負いも
すべて未熟な心から生まれるものです

けれどもこの鶏なら大丈夫です
他の鶏の鳴き声を聞いてもまったく動じず
木彫りの鶏のごとく平然としていられます」

名人の考える「強さ」とは
木彫りの鶏のごとく平然であることだったのだ

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誰もが寝静まった子の刻(真夜中)に
人知れず努力を重ねる

誰からも褒められなくても
自分の役割をまっとうできる

そんな成熟した精神を指して賞賛したかったのだろう

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本当の強さとは何か
という事を考える

それは、「勝ち負け」の外にあるように思う

勝負に勝つことが、本当に「勝ち」なのだろうか?

本当の勝者というのは
その「勝負」「出来事」「事件」を通して
己の「価値」を見出す人間の事ではないかと思う

人間の価値を、高められる人こそが
自分の人生に「勝った」人なのではないか

生きていれば、色んなことがある
その、色んなことを目の前にして
自分の「価値」をいかに高められるか

「勝ち」にこだわる生き方ではなく
「勝ち」を譲ることができる生き方
(「負け」ることができる、「負け」を認められる)


勝敗に関わらず、自分と関わった人たち全員が
その関わり(出来事、勝負)を通して
「価値」を見出せる関わり方をできる人になる事

そういう関わり方を貫いた人こそが
本当の勝者であり
歴史上には「敗者」をして描かれたとしても
その人の魂の価値は、高まるのだと思う

本当の「価値」とは何かを
自分の日常の中で、毎瞬、毎瞬、見つけたいものだ

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