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呼吸のように愛を深める。

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義とはまことに大切なものであります
義の本質は天の理なのです

これを人が自ら行う時に、性といい
生まれながらにして人の中に与えられた
心の作用であるとするのです
     玲瓏集 沢庵
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「徳」と言い
「道」と言い
「仁」と呼び
「義」と言い
「礼」と言っているのは

みな、同じものなのです

ただ、その置かれる場所によって呼び名が変わり
用い方も異なってくるのですが
本質は全く同じなのです

義とは人の心の内を貫いている
正しくまっすぐなものを本質としているので

この道理の感覚を定規として
そこから生まれてくるものこそ「義」なのです

これは、宗教も同じかなと思うのです
キリスト教、イスラム教、ユダヤ教、仏教
神道、儒教、その他もろもろ・・・

色んな神様が乱立しているようにも見えるけど
でも、その根本は同じことだと思う

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どの道を通って、どの順番でそこへたどり着くか?

一神教と多神教は呼吸の関係だと思う
息を吸うから、吐くことができる
息を吐くから、吸う事ができる

どちらか一方では、人間は生きていけない

多神教と一神教も、それは同じこと
全ての存在に感謝をささげることは、確かに大事だ
でも、その、感謝や愛を深めていくならば
捧げる対象を一人にした方が、良いだろう

たった一人の対象に、感謝し、深く愛することができたなら
その隣にいる人にも、同じだけの愛を注げば良い

広く愛し、それを絞っていくのと
ひとりを愛し、それを広げていくのは
まるで呼吸のような関係

絞っては広げ
広げては絞る

その過程で、愛は一神教の神として現れたり
多神教の神として現れたりする

徳、道、仁、義、礼も、それと同じ
本質がどのように顕現したかで、呼び名が変わるのだ

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