装う土台:日々のあれこれ
ゆるゆると書いていたら非常に長くなってしまった。自分のログとしても読みやすいとは言い難くなってしまったが、ここに残しておこうと思う。
自分は皮膚が弱い、らしい
生まれて即アトピーだと言われて、皮膚科のお世話にならなかったことはない人間ですが、幸い、ほぼ寛解と言っていいのではないかなと思えるほど大分よくなった人間がつらつら書いているだけの話です。
病院との相性とか、いわゆるかきむしらなくても生きていける環境になった、というのは非常に大きかったのではないかと思う。
トップ画像のような話は最終盤になると思うので、つらつら、書き殴っていこうと思います。
見た目と肯定
ちょうど十年ほど前が、皮膚荒れのピーク。体幹がぼろぼろなるのはままありましたが、外に出るエリア、特に顔に出る様になったのがこの時期。
化粧も覚え、できるだけ肌に優しいものを、と思っていたが、どうにもこうにも治りきらない。
治りきらない上から化粧するから、なおのこと、治らない。
よい皮膚科に巡り会わなかった、というのもあるかもしれない。
たぶん、いろいろ言われるという現象がいやだったし、当時のアレルギー薬との相性がよかったのか悪かったのかで、眠くなりがちで、それもいやだった、というのがあると思う。
しんどかった。
ただただ、しんどかった。
すれ違うひとたちが、自分を侮蔑しているように思っていた。
指先の関節ごとに生まれるひび割れ。消えたと思ったら増える。
見える所に見える傷。自分で刃物を向けなくても切れていることに安心していたのかもしれない。
目覚めた時に、白いシーツに点々と、時にこすりつけたかすかすの絵の具の様な模様と、じゅくじゅくの指先。
明日起きたら同じ指先だったらいいのに、と思いながら、かなわなかったとき、私はそっと、絆創膏でそれを隠していた。
一番のダメージ
当時、自分の職場にいわゆるデリカシーのない、といわれる先輩がいた。
仕事柄関わる他部署のひと。だったので、まあ会えば会釈なり挨拶なりはする程度の方だった。年も確か割合近かったはず。
だいぶ時間が過ぎてしまったので、季節もシチュエーションもあまり覚えていないが、自分が職場に向かうところだったと思う。
その先輩に挨拶したときに「みんさん、顔やばいね」と言われた。わりと、へらっと。
その瞬間はたぶん「そうなんですよー」的な返しをしたんだと思う。
そこから先のことはあまり覚えていない。泣いたかどうかすらわからない。
でも、折に触れて、鏡を見て、思うようにはなった。
自分の顔って、やばいんだ、と。
客観的に見れば、言葉のチョイスがドストレートだっただけで、事実やばかったのだろうとは思う。なんなら気遣いだったのかもしれない。
当時の自分の姿を思い返すと、そう言われても仕方ないことばかりだと思う。
生え際から輪郭線に沿って、膿んだり掻いたりした跡が残っていて、鼻周りもアレルギー系の症状から鼻のかみすぎでただれたり、吹き出物が出来たりと散々。
跡だけだったら良いけれど、じゅくじゅくのまま浸出液が出たり、固まって黄色くなったり、血の固まりだったり。
いろいろ、くっついている皮膚に、クリーム系の下地だけで化粧をしていた。
弱った皮膚から、肌色は常に赤みがある状態だったら、当時の自分はコンシーラーとか、コントロールカラーを使うという発想もなかった。
首も当時かき壊しがあったから、黒ずんでいて、顔との色合いの差が激しかった。職場で集合写真なんかを撮るときには、できるだけ顔が入らないようにしていた。
そういう、職場で過ごした日々のうち、多少よくはなった。ある程度の症状を抑える程度にしかならなかった。職場ではデパコスの新作を買うかどうかで悩んでいる女子がいた。
うらやましく思ったが、彼女らがそのコスメを買うお金と同等金額で、私は毎週皮膚科に通っているのだと思ったら、そんな冒険はできないなと、敬遠していた。
数年後、ゆるやかに折れる
それくらいの状態だったが、今ではそれらの痕跡は見る影もない。
きっかけは転職だったと思う。いろんな意味での環境が、よくなかったのだろうと。
そう思えるのは、学生時代にはそれほど熱心に皮膚科に通う必要がなかったからだと思う。
実家にいたときも、結構、ひどかった。
ひどかった理由もなんとなく自覚している。いろいろ、手を替え品を替えとしてくれていたけれど、うまく、消化できなかったこどもの自分がいた。
今では、適度な距離感でいられるようになったのでは、と勝手に思っているし、そうであってほしいとも思っている。
転職先でもストレスフルな時期は、やはり手先から悪化する。
おかげで自分は初めての献血を何度か断られたことがある。
ちょうど、指先に荒れがあった。数ヶ月ぶりに、皮膚の内側が見えなくなったと思った時期、当時の自分では割合きれいな手だと思っていたが、本職から見ればそれはただの「治りかけ」であったらしい。
何の気なしに献血がしたいとセンターに足を運んだのだが、そこでちょうど、採血のための問診をしていた医師から「この手じゃちょっと献血できないね」と。医師の視線は自分の指先にあった。
その言葉が飲み込めず、きょとんとした私に医師が言ったのは「傷が治ってからまた来て」の一言だった。
ほんのりの赤みのある指先。
割れ目のない手先。
直近では一番きれいな手でいたはずなのに、これ以上はないのに、と思ったが、きまりなのでどうしようもなく、私はそこから離れることになった。ゼロ回が書かれた献血カードだけが渡されて、終わった。
私の手は「きれい」ではなく「一般的」でも 「普通」でもないんだと、思った。
泣いても叫んでもどうしようもないとわかっていたけれど、ちょうどそのころ、職場の待遇改善が見込めず転職活動をしていたのだが、それもうまくいっていなかった。
こんなによくなっても、私は社会の何の役にも立てない屑だと、泣いた。
案の定、翌朝起きたら、手に数カ所、傷ができていた。
かきむしったのは、無意識の自分だった。
そうして、朝からまた泣いた。
はっきりとした記憶があるのは、何ヶ月かおきにきれいになったタイミングで別のセンターで同様のことがあったからだと思う。
そのたびに、キレながら泣いた。
人間として否定されたと、思っていた。
その後、数年越しに献血ができるようになったのだが、その時もやはり、仕事内容ががらりと変化し、ライフスタイルも変えざるを得なかった状況が大きく影響していたのだろうと推測できる。
ただ、どこかでこの「自分には価値がない」と思わせてくる何かは時折自分の前にやってくる。
そのたびに、悪化する自分の皮膚が、よりその気持ちを強く持たせてくる。
現状、折れた先から立ち上がる
果たしてここが本題である。
長い前説だと自覚はしている。
ただ、泣き暮らしているだけの自分ではなくなったきっかけはなんだったのだろうと今でも考える。
周囲か環境か、自分の意識改革かはわからないけれど、できないことはできないのだと、きちんと諦められるようになったことが要因だと思う。
おかげさまで、人並みの生活にもなり、そわそわと見栄えのことを気にするようになりはじめた。
という文章の前に、久しぶり、という枕詞がつく。
肌が治りつつある頃合いで、年相応の化粧とかそういう雰囲気をふまえたものをしていかなければと思うようになった。
特に、みんなが言っているからというよりも、単純に、普段の自分にできる範囲でいろいろチャレンジしたいという気持ちが強くなった。
かつ、化粧で荒れたら原因も分かっているし仕方ないと思えるようになったのも大きかったのだと思う。
何より、治そうと思えば、荒れたとて治すことができる、という自信ができたことが大きいのだと思う。
一番ひどかった時期から根気強く自分に付き合ってくれている皮膚科の先生には感謝しきりである。
肌を治すためにお金を払う(通院する)のはわかるけれど、自分の肌を痛めつけるためにお金払う(化粧をする)の、意味がわからない、と思う気持ちは今でもしっかりとある。自分にとって化粧とは、それくらいハードルの高いもの。
しかし、こうして「出来るようになってから」色々やり始めてみると、案外荒れずに少しだけ自分の見栄えを上げてくれたように思えるアイテムもあるのだなと、思い始めている昨今。
もちろん、あれこれのケア用品は多用しているが。
上の続きなのかもしれないが、最近、ネイルケアの記事をどこかで拝見し、ガラスファイルでの爪調整に取り組み始めている。
基本的に二枚爪が延々と続き、ネイルを塗れば翌週からはボロボロになるタイプなので、どこまで影響するのかわからないのがチャレンジの理由でもある。
あとは、頂き物のボディオイルが全然減らないので、これは使うしかない、というものもある。肌に保湿材と軟膏を塗って、その上にオイルを塗るというのも、なんだか意味のないような気がしてほぼ手つかずで置物にし続けるのも気が悪い。
せっかくなので、の掛け合わせである。
一応、本職のネイルサロンでケアだけしてもらったこともあるが、それも荒れただけで終わった印象で、こうして自分でやる方が性に合っているのかも、となんとなく思ったのだった。
がしかし、自分は飽きっぽい。
以前、金属製の爪やすりや、木軸の紙やすりなども試してみたが、結局なかなか続かず、ゴミ箱か部屋のどこかへ本体が旅だってしまう。
結果、定位置にある爪切りでぱちんとやってしまい、きれいな爪は未だ来ず、というのが現状である。
今年は少しでも続けたという結果が出るといいなと思い、こうしてnoteに履歴を残している。
長文を呼んで頂き、ありがとうございます。
自分にとってのきれいが、他人の求めるそれでなくても、きっと自分が思うより気にしてもらえないのだ。
自分くらいは、自分のことをケアできるように、日々を過ごしたいと、考えている。