でも今は生きてるから大丈夫
わたしは自殺未遂を過去3回しています
今日は少し暗めの話をできるだけ明るく話してみます。今は、とても元気です。
どのくらい元気かというと、わざわざ電車に乗ってカフェへ行き、そこでこの文章を書くほど元気です。コーヒーが美味しい。
受験が近づいていますが、気を負うことなく生きています。
どうか、心配しないでください。
一回目は中学三年生の頃
自分のことが大嫌いだった頃。引っ越した先で友達ができなくて、先生のことを好きになれなくて、受験勉強が嫌でたまらなくて、死んだら何も悩む必要ないやと思って、学校帰りの電車のホームに降りて、電車が来るのを待ちました。体育座りで線路に座りました。
そこまでは覚えています。気づいたらベッドで寝ていて、周りにはたくさんの大人がいて、怖いなと思いました。同時に生きてることに安堵しました。
2回目は躁鬱と診断された日
一生薬を飲み続けなければいけないことを知って、絶望しました。だから終わらせようと思った。死なないといけないと思ってしまいました。
わたしは10駅ほどある精神科から最寄駅までの道のり約10キロを歩きました。
もらった睡眠薬を一錠飲んで、ふらふらして半分寝ながら近くの海に洋服を着たまま入りました。胸が浸かる前に誰かがわたしに声をかけてくれて、肩を掴まれてそのまま砂浜に倒れ込みました。
めちゃくちゃ泣きました。あの時助けてくれた人、ほんとうにありがとう
わたしはそれから海に行けなくなりました。
3回目は躁の時でした。
その日は幸せな日でした。でも鬱になったら死にたいと思うことはわかっていました。わたしは疲れていました。もう辛い思いをしたくありませんでした。
だから幸せなうちに死のうと思いました。
お医者さんからもらって、飲むのを忘れたりして3年くらい溜め続けた薬を全部飲みました。初めはなんともなかったのに、めまいひどくて立っていられなくなりました。
そこからの記憶は無い。気づいたら病院にいました。
そこからかなりの期間入院しました。もうあんな思いはしたく無いから、ODは一生しないと心に決めています。目が覚めた時に、生きてるのか死んでるのかわからなくて、でも生きてたらいいなあと思いました。
全て運が良かったから、わたしは今生きています。
わたしは死にたいと、思わなくなりました
いつのまにか、未来の予定を立てることが日々の楽しみになりました。
カレンダーが埋まっていくのが嬉しくて、友達にスケジュールを聞いて、会いてる時間が1時間でも、会えるなら会おうと言って予定を入れました
予定のない日は嫌いです。生きてる意味を考えてしまうから
わたしにとって、暇であることが1番の自分を痛めつける方法でした
だから自分を苦しめないために、予定を作ることにしました
どんなに小さな予定でもいいんです。
最近の一番小さな予定は、コンビニのアイスを夕方になったら買いに行く、という予定です
もう自分をいじめたりしません。わたしは、そして誰もが、愛されるべき人間だからです
安っぽい言葉に聞こえてないでしょうか、不安です。
だけど、わたしは「死んだらいけないんだ」と思うようになりました
友達に、そして家族に愛されているということに気づいたからです。
わたしは過去に虐待を受けています。
今は症状が落ち着いているのでもしかしたら治ったのかもしれませんが、複雑性PTSDの治療も受けていました。虐待によるものです。
最後に殴られたのが今から3年前なので、時間が薬だったのかもしれません。
わたしは父親を完全に許せたわけでも、完全に信じられるわけでもありませんが
ただ、わたしのことを愛しているんだということを理解しています。
少しおかしい話かもしれません。許していいのかわたしはわかりません。もうなかったことのようになっている現状があります。それは少し怖いとも思います
だけど、ずっと過去に囚われて、父親を憎んで生きていくことよりも
過去を受け入れて、そういうこともあったね、と自分の中で折り合いをつけて少しずつ忘れて生きていく方が、わたしにとっては楽なのです。
だから、これが正しいとか間違ってるとかわからないけれどわたしは、私のために、決断をしました
私は周りの人にとても恵まれていると感じます。
昔は気づかなかった、仲の良い友達がいることに感謝できているし、姉と仲良しなのも姉になんでも話せることも本当に感謝しています
感謝できるようになったことが、私が死にたいと思わなくなった理由かもしれません。
いま私が死んだら、きっとみんな、悲しんでくれると思います。
リスカをしてはいけない理由が、痛いからでいい様に死なない理由も痛いからでいいと思います
生きる理由なんて、なくていいと思います
ただ毎日少しの楽しみを見つけて生きていければそれでいいと思うんです。
今とても幸せです。当たり前のことかもしれません。友達がいること、家族がいること、帰れる家があること、文字をかけていること、それを好きとしてあなたに読んでもらえていること
これが幸せです。
当たり前がずっと当たり前でありますように、そう願いたいです。
死にたいって思うの、辛かったです
毎日朝が来るのがいやでした。1日を過ごすことが苦痛でたまらなかった
生きてて良かった、こう思えることがどれだけ幸せか、死にたかった私にはよく分かります
死にたかった、生きたくなかった、大丈夫じゃなかったでも、今は、生きてて良かったと思えます。
また死にたいと思うかもしれない、それは少しこわいです。だけど、もう死にたいと思わないかもしれない。それは誰にもわからないですよね
今は生きてるから、きっときっと、大丈夫です。