オルタナティブスクールって、何?
オルタナティブスクールとは、「もう一つの学校」という意味で、一般の学校でない学びの場で、特定の教育理念と教育方法を持ち、「学校」として運営されているものを指します。
フリースクールが、一人ひとりの子どもの実態に合わしていくことを大切にしているのに対し、オルタナティブスクールの場合は、そのスクールが掲げる教育理念の実現を目指しているという特徴があります。
実は、一口にオルタナティブスクール、オルタナティブ教育といっても、またさまざまな種類があり、私立学校として学校法人化されている場合と、いわゆる無認可で学籍を公立学校に置きながら通うことになる場合があります。
全国のオルタナティブスクールをわかりやすく伝えているサイトは、こちらになります。
有名なオルタナティブ教育として、まずは、シュタイナー教育があげられます。シュタイナー教育は、ルドルフ・シュタイナーが提唱した教育方法で、1919年にドイツで最初のシュタイナー学校が開校されています。
シュタイナー教育の特徴は、人間の発達段階を7年ごとで区切り、子ども一人ひとりの興味関心や教師一人ひとりの考え方よりも、その発達段階に沿った教育方法がカリキュラムの上で重要視されることです。
したがって、シュタイナー教育は、しっかりと構築された教員養成システムをもっていて、基本的には、その課程を修了した人しか、シュタイナー学校の教員になることはできません。
そのため、シュタイナー学校の場合は、学校ごとの特徴というものは少なく、どの学校に行っても、ある程度質が整った「シュタイナー教育」を受けることができます。
次に、日本で有名なのは、サドベリー教育です。アメリカにあるサドベリーバレースクールをモデルとしていて、デモクラティックスクールとも呼ばれています。
この教育の特徴は、「カリキュラムがない」ということと、「学校の運営自体を子どもも大人も一緒に決める」ことです。
「カリキュラムがない」とはどういうことかというと、本当に何をしても自由で、朝のミーティングで何をするか決めて過ごしていくというカタチになります。シュタイナー教育が、子どもの発達段階を7年ごとに区切り、その発達段階にそったカリキュラムが、シュタイナーの教員養成課程を修得した教師によって、教育が行われるのに対し、サドベリー教育の場合、何歳であっても何をするかは、完全に子どもにゆだねられ、大人は自分の価値観を極力手放し、ひたすら子どもの意思を尊重することが求められます。
有名なエピソードで、3年間、一日中釣りばかりしていても、それをその子の学びとして尊重しつづけたという話があるほどです。(シュタイナーの場合、シュタイナー独自のカリキュラムがあるので、そういうことはできません。)
「学校の運営自体を子どもも大人も一緒に決める」のも、サドベリー教育の大きな特徴の一つです。何歳であっても、この運営のミーティングに参加でき、このミーティングでは、学校が持っている資金や収支もすべて公開されます。だれをスタッフとして雇うのか、そのスタッフの給与をいくらにするのか?どのプロジェクトにどのくらい予算をつけるのか?そういったことを子どもも大人も対等な立場で話し合い決めていきます。
サドベリーの場合、カリキュラムがないこと自体がカリキュラムだということになるので、何をどうやって学んでいきたいのかを一人ひとりの子どもたちが自分自身で決めていくことになります。
将棋の藤井聡太さんで話題になった教育に「モンテッソーリ教育」があります。この特徴は、モンテッソーリ教育用の「教材・教具」というものがあり、それを使いながら自発性や自立心を育んでいくことです。
モンテッソーリ教育の場合も、独自の教員養成課程をもっていて、「教材・教具」の意味を理解して、使いこなせるようになることが必要です。
ただ、こちらの場合は、就学前の教育として幼稚園などで行われているのがほとんどで、小学校・中学校段階で行われているものは、私が知る限りでは、東京モンテッソーリスクールぐらいです。
ここ数年、よく耳にするようになったのが「イエナプラン教育」です。イエナプラン教育は、オランダで花開いた教育で、リヒテルズ直子さんが日本に紹介したことで、よく知られるようになり、長野にある私立学校の大日向小学校や広島にある市立常石小学校が、近年、イエナプランの学校として設立されています。
イエナプランの場合、20のミニマムエッセンスを原則とし、異年齢グループで学ぶ。時間割は「(サークル)対話」「遊び(演劇など)」「仕事(学習)」「催し」の四つを循環させて組み立てる。多様な生徒が協働して学ぶという特徴があります。
イエナプラン教育を普及させていくために、イエナプラン教育協会が設立され、教員養成を行ったり、認定校の基準を定めたりしています。
ただ、この辺りからだんだん難しくなってくるのが、マナカタのHPで、プロジェクト・テーマ型に分類されているスクールと、イエナプラン教育とどこがどう違うのか?ということです。
マナカタのHPで、プロジェクト・テーマ型に分類されているスクールは、きのくに子どもの村学園、東京コミュニティスクールなどに加えて、箕面こどもの森学園も分類されています。
プロジェクト・テーマ型に分類されるスクールや、イエナプラン教育をするとされている学校には、それぞれ細かい違いはありますが、実はそんなに大きな違いはなく、すごく似通っている部分があり、このカテゴリーの中には、長野にできた風越学園も入ってきます。
イエナプラン教育の20のミニマムエッセンスは、すごく根本的で本質的な内容であり、教育方法やカリキュラムの細かいことを規定しているものではありません。シュタイナーが細かく決まっている一方で、イエナプラン教育は、市民性を育むことが重要視され、How toではなく、教育や学校が何のためにあるのか、教師はどうあればいいのかというような「あり方」の部分を規定しています。
教育哲学者の苫野一徳さんは、著書「教育の力」で、教育の目的とは究極的には、「自由の相互承認」の感度を育むことであると言っています。この「自由の相互承認」という考え方が、イエナプランも目指す「市民性を育むこと」だとも言えます。
苫野さんは、その著書の中で、「自由の相互承認の感度」を育むための教育方法とは、「個別化」、「協同化」、「プロジェクト型」の教育を、子どもの自己決定や対話を尊重しながら行っていくものになると述べています。
そして、イエナプラン校、テーマ・プロジェクト型に分類されるスクール、風越学園などでは、この教育形態がとられています。なぜそうなるのかというと、それが教育の本質、つまり本来の姿であるからだろうと思います。
ここでまた、シュタイナー教育の話に戻りますが、実は、シュタイナー教育も、「個別化」、「協同化」、「プロジェクト型」の教育を、子どもの自己決定や対話を尊重しながら行っていくものだとも言えます。ただ、そこに7年ごとの発達段階がかかわってくるので、子どもの自己決定はその発達段階の範囲内ということにはなります。
イエナプランをオランダで花開かせていった教師たちがそうだったように、日本でテーマ・プロジェクト型を考えて実践している人たちも、名前の付いた教育のカタチをそのまま取り入れるのではなく、教育の本質とは何なのか、より善い教育とは何なのか?ということを追求し、実践しつづけていっているため、そのカタチが自ずと似通ってくるのでしょう。
ここから、また少し話が変わるのですが、国連が2030年までの達成を目指しているものに、SDGs(持続可能な開発目標)があります。
SDGsを目指いしていく教育は、ESDと呼ばれていて、ESDとは、持続可能な社会を創っていくための担い手となる教育を指します。自分も人(社会)も大切にしながら、社会とのかかわりの中で、自分にできることを自分ごととして引き受けていこうというあり方を育む教育であり、イエナプランが目指すところの市民性であり、苫野さんが指摘する「自由の相互承認」でもあるとも言えます。
ESDを行う学校は、ユネスコスクールと呼ばれ、国連のUNESCOから認定されます。テーマ・プロジェクト型に分類される「箕面こどもの森学園」も、シュタイナー教育を行う「京田辺シュタイナー学校」「横浜シュタイナー学校」「東京賢治シュタイナー学校」も、このユネスコスクールに選ばれ、さらに、この4校は、ESD重点校(サスティナブルスクール)にも選ばれています。
私の恩師のお一人、大阪市立大学の教授でESDにも詳しい添田晴雄先生に、「ESDをやろうと思っていたわけではないけど、気が付いたら、自分たちのやっている教育が、ESDだったんです。」とお話したとき、「教育とは、本質を追求すれば、そのカタチはおのずとESDになる。」と教えていただきました。
添田先生のおっしゃったことは、表現や角度は違えど、苫野さんのおっしゃっている「自由の相互承認の感度を育むこと」であり、イエナプランなどが追求する「市民性を育むこと」であるとも言えます。
オルタナティブスクールとは、冒頭で説明した通り、特定の教育理念と教育方法を持ち、「学校」として運営されているものを指すと言える一方で、それぞれのオルタナティブスクールが目指すところは、究極的には、同じところ、つまりはESDにあり、「教育の本質をどう実践するのか」というところにあります。
そのため、私自身は、オルタナティブスクールで行われている教育実践は、「オルタナティブ」なものではなく、「本質的」=「エッセンシャル」なものだと思っていて、市民社会が成熟しているオランダやデンマークのように、日本の学校教育全体がそちらに向かっていって欲しいと心から願っています。
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