金太郎飴みたいになることを押し付けられて、一つのものさしで人と比べられる場所に、行きたくないのは当たり前だと思う
私は、公立小学校の教員になった1年目に、不登校になったことがあります。
ある障害をもつ子どもの権利が、どう考えても踏みにじられていると思うデキゴトが起き、職員会議で「当事者主権が尊重されていない」と発言したら、先輩教師二人に湯沸かし室に呼び出され、「職員会議で発言しないで」と言われ、自分の心が音を立てて割れたからでした。
不登校で学校を休んだ日は、とてもいい天気でした。
ボーッと、車の洗車をしていたことを今でもよく覚えています。
心配してやってきた同僚に「学校に行きたくない」と言うと、「それでも、子どもたちは教室で待っている」と言われ、学級担任だったこともあり、「それはそうやな~」と思い、心は教員住宅に置き、勇気を振り絞って、抜け殻になった体だけで、学校に出勤していて、職員用の女子トイレだけが、唯一自分に戻れる場所でした…
私が「学校を創りたい」と思った一番のきっかけは、このデキゴトだったように思います…
どんな子であっても、一人の人として尊重される。
そして、若手教員であっても、一人の人として、その意見を聴いてもらえる。
そんな学校を創りたいと心底思うようになり、私が仲間たちと創っている場所では、このことにとても大切にしてきました。
いろんな出会いと偶然が重なり、箕面こどもの森学園を仲間と創りましたが、日本一の里山と言われる川西市黒川に、小中学生のための平日の居場所、里山スクール風と泉という場所も開くことができました。
行きたくない場所に、無理矢理行くのでもなく、
おかしいと思う場所に、無理矢理合わせるのでもなく、
自分が自分としてあれることを大切にしてほしいと思います。
9月23日には、オオタ・ヴィン監督をお招きして、映画「夢みる小学校」の上映とトークセッションを行います。よろしければ、ぜひ~