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「勉強するのは、何のため?」と聞かれたら?

「勉強するのは、何のため?」と、子どもたちに聞かれたら、みなさんはどう答えますか?
「大人になっても困らないため」とか、「受験に必要だから」とか、「いい大学にいくため」とか、いろんな答えがあるかと思います。

先日開催したイベントで、この問いについて参加者と対話をしたところ、参加していた小学生と高校生が、「将来の選択肢を広げるためだと親からも言われるし、自分でもそう思う」「いい大学に行くことが将来の選択肢を広げることで、いい大学に行かないと選択肢が狭まる」というようなことを、口をそろえて答えていました。

確かに、ある一面そうなのかもしれないけど、「偏差値が高い=選択肢が広がる」という考え方があまりにも当たり前だと思われていることにびっくりしたというよりも、愕然としました。

選択肢とは、偏差値が高かろうが低かろうが、どんな状況であっても、その人の前に無数に広がっているものだと思います。なぜなら、人の持つ可能性は無限大だし、どんな状態でもどんな人であっても、その人には、その人なりの役割というものがあるし、「今」の行動を主体的に選んでいくことで、これからの未来を創って行くことができるからです。

しかも、教科書に載っていることや受験に出題されることは、この世界のほんの一部のちっぽけな狭い範囲のことで、それ以外の世界は無限に広がっていて、そこにに興味関心がある場合は、そのことをいろいろ調べたり学んだりしていいと思うのです。

参加していた学生さんは、いわゆる優等生だと思います。能力も思考力もある無限の可能性を秘めた人たちに、そんなちっぽけな世界を世界だと思わせて、偏差値や大学進学だけを可能性だと思わせている現代の日本教育のあり方と、大人のあり方が残念すぎるし、「その考え方、価値観こそが、あなたの可能性を奪っているよ!」と伝えたいぐらいでした…

「勉強するのは、何のため?」と聞かれたら、何のためだと思うのかを一緒に考えてみて、その結果、その子が今はやりたくないとか、〇〇と△△だけやりたいとか、受験に全然関係のない韓国語やダンスなどを学びたいということになれば、その子の今やりたいことをやるのがいいと思います。

箕面こどもの森学園の入学と進級を祝う会で、毎年、子どもたちに話すことがあります。
「ネイティブアメリカンの教えでは、神様は一番大切なものを7番目の方角に隠していると言われています。学びとか生きるということは、7番目の方角に神様が隠したものを探していく道のこと。この学校で、自分の7番目の方角に何があるのか、一人ひとりが探していってほしい。」 「さて、その7番目の方角とはどこでしょう?」

毎年同じ話なので、前からいる子どもたちは答えを知っていて、「はい!はい!」と手があがります。東西南北で4つ、上下で2つ。7番目の方角とは、「自分の中」です。神様は、一番大切なものを、一人ひとりの「自分の中」に隠しているのです。
自分の7番目の方角に何が隠されているのか、それを探す旅を学びや人生とよび、その旅の過程を促進するために、勉強という行為が行われるのではないでしょうか?

スポーツをすること、好きな漫画を読むこと、釣りをすること、虫をとること、お菓子をつくること、ギターを弾くこと。なんでもかまいません。子ども時代は一度きりの時間です。(写真は、息子の相棒のギター)

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将来のための選択肢を広げるためにイマを生きるのではなく、イマ、自分は何かしたいのかを自分の心の声を自分の心の耳で聴いて、自分がワクワクすること、やってみようかなと思うことに時間を使ってほしい。

そうした時間の積み重ねこそが、あなたが何かができる人であってもできない人であっても、あなたが健康であっても不健康であっても、あなたに障害があってもなくても、あなたというかけがえのない人の、あなた自身の人生の選択肢を広げていくのだと、一人でも多くの子どもたちに伝えいきたいと思います。


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