もう十分、何者かになりたい自分と向き合ってきた件

今日は、月曜日。

でも、外にいる私。

夏季休暇をとりました。


明日は東京に戻る日。その前の時間。

鼻から入ってくる空気の綺麗さに、芯から呼吸をしたくなる。いいですね。


もともと自然が近くにある環境だとわかっていて、少し前に自転車を買ったから、それで来れるって思っていたけど、なんだなんだ上り下りを億劫に思ってやらなかったり、雨だから諦めたり。

でも今日、小雨がずっと降っているんですが。昨日大雨に打たれた中自転車を漕いだものですから、耐性ついちゃって。

「空気のきれいな自然」と、「どこよりも美味しいと思っている天丼」に出会えて、心が、言葉の通り、澄んでいくみたいです。


ああ。東京に戻りたくない理由が、また一つ。




ふと昔を、思い出した。


こんな事考えたくもないけど、大学生の頃。新卒の頃。

「あなたが好き」「私は何者かになりたい」ただそれだけの欲求で、がむしゃらになって働いていた時期。

2年近く。

人生のバランスを取るほうがいい、こうやって三連休あるとなんて心に余裕が生まれるんだろう。もしくは水曜の中日に休みがあるとバランスが取りやすいなと思っている今。

人生の楽しみ方が、変わった。


あの頃の私は、裸だった。

それでもなお、当時は「拭いきれない私」を知っていた。もどかしかった。ジタバタしていた。

随分、経った。

岩手になんか戻りはせん。と決めていたあの頃から、もう10年近く経つ。

「あの人のために」って踏ん張った時から、5年が経つ。


確かに振り返ってみると、もうそろそろ、「何かに囚われて走る私」から開放されて、「人間らしい私」が何を思うのかにフォーカスを当てていいんじゃない、と。


何者かにならないといけないともがくコンプレックスだらけの私、今の自分では到底満足できないと今の自分を否定した私。

もう十分、生きにくい世の中に触れて、頑張ってきたように思います。



誰かの、「昔は・・」など知りません。昔など、もう存在しないのだから。

私の「昔」だって、存在していないのだから。

もう、今は。

たくさんのことがアップデートされた。ソフトウェアも、ハードウェアも。感性も、業界も、種類も、選択肢も、環境も、生き方も。

そんなんが常に更新されているものだから、「正解」なんて誰も持っていないし、誰かが作った道が、誰かから見て正解になったり不正解になったりする。要は、基準値なんてくそみたいなもんです。


私の正解は、私にしかわからない。信じることが出来ない。

他の誰かの何かを妬んで、嫉妬で狂って、失敗を望んでも、「私自身が変わるわけではない」。成長でもない。前進でもない。むしろ退化している気がする、精神的に。

前に進まないといけないわけではない。でも結局、いろんなコトに向き合っていると、前に進むことになったりする。

だから、一休み二休みして、たくさん休んで、気が済むまで休んで、それでまた走りたいなって思えるような。そんな人生がいいなあ。