私が今トライしているのは、幸せに幸せを上乗せするためのもの
この前は、昨年の振り返りについて書きました。
そんで、ここ最近「衰退している感じ」というか、自分が「進んでいない感じ」になっていたので、
この正体をあばいていこうと思います。
なんで、衰退するとか進んでるとか、そもそも思うのか
中学校の友達と会って、話して、夕方にのんびりテレビを見ている話をしていたのです。
その瞬間だけを切り取った話だから、でもふと思ったんだけど。
「何事もなく、ただぼーっとテレビを見て日々を過ごすこと」
これに「このままでいいのか?」っておもう人と、まったく思わずにいる人と両極なのよね。
私は個人的に、後者の方がなんだかんだその瞬間の幸せの総量は多いだろうなと思った。
で、人によって幸せの定義って違うから、そんな何かしらするよりもだらだらして一生過ごして行きたいって人だってたくさんいるし、(それがその人の目標)
何かしらを達成したり行ったりしないといけないと人生や誰かに対して使命感を感じている人もたくさんいる。
どっちが幸せか、かその人によって当然違うんだけど、私は少なくともタイプ的に焦りを感じてしまうタイプなので、この疑問をもってしまう。
私のバイブル、ストレングスファインダーにも「達成欲」というのが上位にきていて、【毎日に意味をもとめる、毎日なにかしらの達成をしないと何かしらの満たされない気持ちがのこってしまう】らしい。
良い部分を考えると、【長い間火をつけ続けてくれる起爆剤であり、働く上で必要なエネルーを与えてくれるもの】だから、うまくつきあっていく必要があるって話。
私は、この感情に振り回されることなく、うまくつきあっていく、コントロールしていく必要がある。
負けず嫌いでもあるのかもしれない
この感情の正体は、達成欲なんてものではなくて、
単純に負けず嫌い、や、生き急いでいる、や、今の自分に自信がない、なのかもしれない。
兎にも角にも、現状に満足をしていないから、「何者かになりたい」「何かをしたい」「何かを追いたい」
そういう感情なのだ。
この感情は、正直とても疲れる。
なんでもない日常、休日に、本当はおひるすぎまで寝てしまったことを笑ってネタにしてしまいたいのだ。そこからこじつけてでもいいからエネルギーを収集できたとしてしまいたいのだ。
ただ、心の中で焦る。
お昼過ぎに家を出ることで、午前中の時間がなくなった&夜は寒くてどうせ勉強とかできないから、タイムロスをしてしまった、などと考えて、
今の目の前で綺麗な景色があること、素敵な空気を据えていることに集中して楽しむことができない。
人には、たくさんの出来事がある。コミュニティがある。
何が優先順位として高いものなのか、人によって、時期によって左右される。
家族だという人、友人だという人、恋人に変わった人。
趣味だという人、アニメだという人、仕事だという人。なんでもいい。
毎日丁寧に生きれている事実、自然に触れること、心が騒がずに過ごすことができたこと。
to DOもあれば、being(状態)もある。
自然に触れるっていうのは、都内にいた頃は、なかなか味わうことのできないものだった。動物に関しても、都内では難しかった。話し相手もそう。
何もかもが、数ヶ月前の都内での暮らしに比べると、「触れられるものが大きく変わり、自分のリフレッシュの手法が変わった」し、(都内にいることで簡単にアクセスできていた人や趣味には触れられなかったけど)
それは、コロナで在宅勤務、という中で、心の安定にとても大きく影響をもたらしてくれる存在だったように思う。(自分が時間ややる気などうまく調整できなかった時もあったけど)
「目の前のものにしか、人は集中できないのに」「目の前のものからしか、新しい感情や発見をすることができないのに」
目の前に集中できていない、何かしらフィルターがかかっている状態。
これは、とても精神状態的に不衛生だ。
自分への自信のなさが、寂しさと焦りをうむ
何度も、この結論にたどり着く。
なんどもなんども。その度に、自分自身ダイエットに集中したり、目標を立てたり。
その度に、もちろん新しい発見をしているので、ちゃくじつに進んでいるんだけど。
でも、大きい前進はしていない。
立ち戻る際に、
・好きな芸能人の動画や言葉で引き戻される
・今いるより大きな世界を実感して引き戻される
・誰かの言葉に気づかされる
・自分の衰退具合を実感して焦る
・掻き立てるような曲を聞いて、そうだったと思い直す
人は忘れる生き物だし、生物だから日々変わっていっているんだけど。
変わっていく方向性はいつも正しい方ではなくて、望んでいない方向にも変わって行く。それを堰き止めるための精神力や、リカバリー方を持ち合わせていないのだ。
柔軟な生き物であることに、自分自身が弱い自分への選択を許さず求めず、もっていない。
いつだって挫折したり、少し道草をしたり。誰だって平気であるのにね。
自分への自信、というのは、本当に精神状態に関わる。
そもそも、自尊心など、平和な世界だからこそ集中して考えることのできるものの象徴のようなものであって、ある種しょうもない。とも心のどこかでしっかりと思っている。
要は、「贅沢な感情であり悩みである」ということだ。
そんなこと下らない。自分よりも多くの人たちが恵まれない状態で生きている。
毎日を生きるにしても、何を買うかと迷う次元にいる人だって比率は少ない。
その中での苦しみがあることはわかるが、自殺をしてしまうのはきっと、他の次元の人からすれば理解もできないことだ。(別に理解をされる必要性はないんだけど)
自分は幸せだ。 それは、あまりに揺るぎない。
このコロナの状態で失業もせず、新しい夢を持ち、他の仕事も視野に入れて、新しい生活をスタートしようとしている。
綺麗だ可愛いと言われ、男性に困ることもなく、友人にも恵まれ、精神的に苦しみながらも、なんだかんだ去年は生き抜いた。生き抜く術が、あったからだ。
十分すぎるほどに幸せで、誰がなんと言おうと幸せで、とんでもなく幸せものだ。
大切な家族と仲直りをして、なくなった家族の夢を見れている。今後、プラスアルファ「もっとどうよくできるのか」に注力して過ごすことができる時点で、もうね、とんでもなく幸せなのよ。
これを忘れてはいけないね。忘れてはいけない。
メタ認知。かな。
渦の真ん中にいて、それすら考えることができない時があるね。
私が今トライしているのは、幸せに幸せを上乗せするためのもの
痩せたい、綺麗になりたい、好きな服を着れるようになりたい、自分が新事業を作りたい、お金をもっと稼ぎたい、家族と海外旅行に行きたい。
・・・たくさんのこれからの夢なり目標があって、
「やらないと」「やらないとダメだ」って焦りや使命感を感じていたけど。
それは、「今の自分は足りない」「今の自分は不十分だ」「今の自分じゃダメだ」と、今の自分を否定して、マイナスと捉えているからだ。
十分に幸せなのに。十分に恵まれているのに。十分にプラスな存在なのに。
目の前の幸せに、気づくことができていない。それ自体が、とんでもなく不幸で、不幸せで、苦しいことだよ。
今何を失っても、元々自分の持っているものや環境はプラスだから大丈夫
もちろん、プラスの何かを持っていても、代替えの効かないものはたくさんあるわけで。
好きな人はこの世に一人だけだし、何かの機会も一度だけ。
だから、それらを失った時は、それなりにしばらく引きずってしまうんだろうけど。
でも、大事なのは、中長期的に見たときに、それは平たくなっていくしフェアになっていくってこと。
山あり谷ありで、谷がずっとつづいて終わりが見えなくても、いずれ。今は見えないけどいずれ、山が来るものであると信じられるかどうか。
こういうメンタルを大事にしたいね。で、そのためにも、「今の自分のプラスに受け入れてあげること」は、大事にしたいことだね。
今自分がやっているのは、プラスをさらに大きくするための動きであって、それに取り組めている時点で幸せなことであるって話。
だから、楽しむことが、自分にとってとてもいいエッセンスになり意識になる。
神様。
人は忘れる生き物だけど、忘れてはいけないことが多いね。
でも、そうやって考えていても人は忘れるから、教会に週1回いくみたいに、自分を何度も原点に戻そうと葛藤するのね。
何度も、原点に戻す。
これが、さっき私がいっていた「人は弱い生き物だから寄り道したり道草を食ったり、弱ってしまった時の対処法」なんだよね。
何に触れれば、自分はまた原点に戻ってこれるかな?これを知っていれば、長く走れる気がする。