ネットの誹謗中傷と、白黒つけることについて
1.白黒つける自分から、許せる自分へ
最近思うのは、昔の自分って白黒つけたがりだったなということ。
善悪の考えをはっきり持っているのは芯があって良いじゃんと思っていたし
完璧主義な自分が好きで、負けず嫌いなところもあった。
でも、ふと気を抜いて行動したとき
「完璧なイメージがあるから、ゆるい素な部分が見れると接しやすいよ。」とある人から言われて
少し失敗してしまう自分でもいいんだと安心。
それから少し、怠惰な自分も許せて、人にもそんな姿を見せれるようになった。
2.カテゴライズされるのが苦手で白黒つけなくなった
自分をカテゴライズされるのが苦手だなと思ったのも、白黒をあまりつけなくなったキッカケの1つ。
「〇〇〇したから、みっこは〇〇〇な人だ」とあまり話したことのない人から決めつけられるのが苦手で。
決めつけられるのが嫌だから、私も他の人にもしないように気をつけようと思ったのかもしれない。
3.曖昧な距離に対する安心感
人との距離感に対する考えも変わった。
昔は距離感なんて分からなかったから、人間関係は親友かそれ以外で分かれていて。
嫌いな人は嫌いで切り捨てる感じだった。
逆にこの人のこと好きだなと思う人から距離を取られると、寂しかったこともある。
でも、距離感を考えずに好きな人と行動していくと、あるとき自分が都合の良い人間のように感じたり。
あまりに近いと、求められるものが多くなったり。こちらも求めるものが多くなったり。
嫌いにならない、その人といい関係性を保てる距離って大切だなと思えてきた。
そう思えてくると「この距離感が心地よい」と感じる人も出てきたし
知り合いや、会ったらお喋りするくらいの
めちゃくちゃ仲が良いというわけではない人とも、安心して接することができるようになってきている。
4.一面だけをみてジャッジしていたかもしれない自分
最近ネットの誹謗中傷について考えると、白黒つけていた自分のことが思い出される。
もし他人の誤りが許せなかったあの頃
さらに例えば、男とひどい別れ方をしたときに見た番組が、リアルな男女の愛憎劇だったとしたら
番組で作られている悪いキャラクターだったとしても、悪役の人を悪いとジャッジして切り捨てていたかもしれない。
毎日その人のアカウントでマイナスな言葉を言い続けたりはしないかもしれない。
でも、テレビに映るたった一面を信じていた可能性はある。
テレビでは誇大表現されがちだから、そんな人なんだって信じやすいかもしれない。
見えてるのはたったの一面、もしくは作られているものかもしれないということ、覚えておこう。
自分はまだその人の奥深い部分までは全く知れていないということ、覚えておこう。
どうしても嫌いな人もいるだろうけれど。
ジャッジをするには早いのかもしれないし
自分もすぐ人をジャッジしてしまいがちなんだと今気づいたことを覚えておこう。