誰かに促されてじゃない。
いつぶりだろう。誰かと外で会うの。
去年の秋頃に知り合って何度か外で
会ってた人と年明けて初めて会うことに。
いつもはランチしてカフェ行ってでだいたい
終わってたんだけど、久しぶりに会う今日は
こっちの勝手な都合で映画に付き合ってもらう
ことにした。
観てきた映画はドリームプラン。
最近TwitterやインスタのWilson、ラフィノの
プロモーションが凄かったからテニス熱が
強い今折角だし見てみようかなって。
ウィリアムズ姉妹の話になるんだけど、
正直プロの試合とか全く興味のない自分には
楽しめない気がしてたんだけど、見始めたら
まあ面白い。細かい内容はさておき、この映画を
観て得られたことは二つ。
一つはプロの試合の迫力は半端ないということ。
あくまで劇中の試合シーンは再現映像に過ぎないんだけど、ボールの当たる音の良さといい、球の勢い。普段からテニスを楽しんでる自分から
すればあのバコバコ当たってる感じはたまら
ない。たとえそれが他人のプレーであっても
あんなにゾクゾクするなんて。
今ちょうどスタテニで日本代表の岩渕監督?
のインタビュー映像公開されてるけど、
この勢いに乗ってデビスカップとやらを
チェックしてみようかなと思うくらい突き動か
された。
二つ目は自分を信じ抜く強い心がいい結果を
もたらすってこと。
でも、自分はできるとかあまり思い込みすぎると
それはそれで自信過剰じゃね?って感じてしまう
部分もある。
映画の中でビーナスが自信に満ち溢れていた
そもそものきっかけは親から常日頃できると
言い聞かせられて育ってきたことが大きいと
思う。
今相手にしてる子たちとか見てるとよく自己
肯定感が低いって感じることがあるけど、
それってやっぱり褒められ慣れてないのかな?
それともいろんな可能性にチャレンジする
機会を設けてもらえていなかったのか。
自分だって別に自分は全部正しいとかそんな
胸張って生きてるわけでもないし、むしろ
何もかも不安なことばかり。だけど、そこで
立ち止まってても仕方ないからその時できる
ことをただこなしてるだけ。
前にも書いたように、どんどん周りから助言を
もらえる機会は減ったし、それと同時に自分
も経験値を積んでるわけだから何を信じる
べきかどうかは周りに促されてじゃないって
ことをよく理解してる。
今は確かに指摘される場面はないけど、数少ない
信じられる人たちは多分普段から自分のことを
よく観察してくれてるだろうし、これは流石に
見過ごすわけにはいかないってなったらきっと
口出ししてきてくれるはず。
それがない限りは自分が思うようにやってみて
良いって最近思うんだ。
あと、久しぶりに会って改めて感じたけど、
今日一緒に映画を観てくれた人はよく
将来のことを考えているか、とか人との出会い
についてだとか話をしてくるんだけど、
そういう話題を出されるたびに自分はあまり
先を見据えた人生を送れていないなって
劣等感を抱いてた。あと、夢中になれること
だって今はテニスくらいしかない。
でも、なにを好きになるにしてもそうだけど、
一度興味を持ち出すとそれなりに追求していく
のが自分。いろんなことに興味を持って、
知らない世界に触れて刺激を受けることも
もちろん大事だけど、本当に好きだってものを
一つでも見つけたらそれを目がけて一心不乱に
なれることだって十分素敵なことでしょ。
選んだ道全てが良いことだらけなわけじゃない
し、窮屈だったり嫌なことがあるのは当然。
でもその選んだ先に何が待っているか、
その何かと一通り向き合うことが出来たと
感じられた時、次のステップに進むべきなんじゃ
ないのかな。