ロサンゼルス再ロックダウン — 飲食業界の今とコロナの先に残る店を考える
この写真、なんだと思いますか?
屋台? お祭り? いえいえ、残念ながらそんなに気楽なものではありません。
ロサンゼルスは春のロックダウン以降、店内飲食が条例で制限されてきました。その春の様子は、こちらの投稿で以前紹介しました。
当時はなんとか生き延びようと、多くの店が新しいことに挑戦していました。高級料理店が弁当を出し始めたり、従業員の保険を払うためにクラウドファンディングをしたり、料理のみならず素材を売ったり...。またこの記事に書いたことに限らず、飲食店同士が助け合い、母の日などのイベント時に近所の店同士でセット売りをする工夫も見かけました。
(写真: Azay Instagram. 母の日に近所の店5軒がコラボして花や風呂敷や弁当などをセットにして提供)
そして夏になり、少し落ち着いた頃にはダイン・イン(店内飲食)が、定員や清掃消毒、服装など厳しい条件付きで解禁となり、少しの間でしたが、多くのレストランが店内とパティオなどをうまく利用して食事スペースを確保してきました。ただ、秋になるまでの間にCOVIDの患者数は収まらず、結局食事はアウトドア・ダイニング(店外飲食)に限られていきました。
初めは駐車場を潰してテーブルを出したり、店先に2、3テーブルを置いたりしていた店舗も、だんだんと道路にはみ出してスペースを確保するようになりました。それが冒頭の写真です。
コンクリートの車避けを置き、テントどころではなく、木材でしっかりした構造物を建てていることが見て取れます。花やオレンジのライトをつけて、外にいても少しでも落ち着く雰囲気にしようと努力しています。繰り返しますが、ここは道路の真ん中です。両側道路一車線ずつ犠牲にして、こうして簡易屋外スペースを作っているのです。
この上の写真のお店では、店の隣にあった使われていない小道を改造して、大きな観葉植物や飾りをたくさんつけています。このお店の店員さんに聞くと、店を閉めるときには全部の椅子とテーブルを店内に戻すという作業をしないといけないそうです。これだけの量を少ない従業員で片付け、また次の日にはセットアップするという、毎日その繰り返しです。
カジュアルな店だけではなく、ファイン・ダイニングでも同じです。この上の写真を見てわかるように、白いテーブルクルスにナイフとフォークが乗り、赤ワインを傾けるような、客単価が何万円もする高いお店でも同じことです。
赤ワインといえば、そういえばロサンゼルスは室外でのアルコール摂取はこれまで厳しく制限されてきました。公園や道路など公共の場でアルコールを飲むことは厳禁だったのです。そんなルールがこのCOVIDの世界になって、どこかへ忘れ去られてしまいました。あれは何だったのかというくらい、馬鹿みたいな話になってしまいました。ルールなんて結局そんなものです。
これまでアメリカではあり得なかったマスクという文化も、政治的に反対する人はいるにせよ、ロサンゼルスでは一般的にしっかり根付きました。というよりむしろ、マスクをしないと罰金や収監される条例が出た州もあります。(オハイオ州では罰金750ドルに最大90日間の収監が適用できることになっています。ただ実際にこのような罰則が誰かに施行されたというニュースはまだ見ていません。どなたかご存知でしたら教えてください。)
話をレストランに戻します。お客さんに安全に食事をしてもらうために、各店はそれぞれ独自に色々な工夫をしています。回して使うメニューを手元に置いてはいけないので、お客さんのスマホでメニューを見られるように、各テーブルにQRコードが乗っているだけというシュールな光景も見ました。メニューを透明ビニールクロスの下に敷いて触れないように工夫する店もありました。テーブルの消毒はもちろん、椅子も、カード支払い用のボールペンも、毎回毎回消毒します。2メートルの間隔が開けられない場合は、テーブルの間に巨大な透明アクリルシートが付けられています。醤油やケチャップなどのソース類は全て使い捨てのものが配られます。
そこまでしてお店で食べたいか? それは人それぞれでしょう。店にもよると思います。でもわたしは、誕生日に、何ヶ月かぶりにひさしぶりに外での営業を始めた、いつもお世話になっているレストランに行き、迎えてくれた顔馴染みのウェイターさんのマスク姿の笑顔を見た時、涙が出ました。ここはロサンゼルスでアワードを獲るような素晴らしいレストランです。そんなレストランを経営するオーナーでさえ、経営する全4店舗のうち一軒を失ったとニュースで知りました。
わたしたちがたどり着いたとき、いつもの店舗は奥のキッチンの灯りが見えるだけで空っぽでした。代わりにその隣にある、室外機が見えるような薄暗い歩道に、いくつもの植物が置かれ、でこぼこに歪んだ石とコンクリートが敷かれた地面には美しい木のテーブルが並べてありました。この変わった姿に驚きながら誘導されて入ってきたわたしたちを、いつものウェイターさんがいつもと変わらず正装をして、わたしたち夫婦の名前を呼び、同じ作法で迎えてくれたのです。その小さな瞬間が、こんなに嬉しいことだなんて。時々鳴り響く隣のビルの室外機の爆音を聞きながら、わたしたちが斜めに傾いたテーブルで交わしたワインはいつもの何倍もの価値がありました。
そしてつい先週、5日続けてロサンゼルスの感染者数が4500人を上回ったため、ロサンゼルスのレストランはまた、唯一の活路であった店外の飲食さえも禁止されました。なけなしのお金をかけてようやく作ったパティオや道路の店外施設はこれから最低3週間は使えないことになってしまったのです。この先のことは、誰にもわかりません。
ただ、ひとつ言えることは、レストラン業界は死なないということです。今は辛い思いをして、行き先がわからない道を彷徨っていますが、人は食を愛し、食に勇気をもらい、食でコミュニティを作ってきました。ロサンゼルス最大のBLMプロテストがあった時、最も辛い渦中にいるはずのレストランが、自ら炊き出しをして応援していたことを思い出します。考えてみれば、誕生日も朝ごはんも残業も仲直りも結婚記念日も出張も忘年会も相談もプロポーズも、いつもいつも大事なときにレストランはわたしたちのそばにいてくれていたのではありませんか?
最近はインスタグラム映えを狙う店や流行を追う店が増えてきて、少しおかしな方向に向かってきた業界が、これを機に、また原点回帰するのではないかとわたしは思っています。前のブログ記事にも書きましたが、これまで常連を大事にしてきた店ほど、お客さんは離れませんし、助けてくれます。なぜなら、あなたの店がなくなることは、誰かの一部が消えるということだからです。わたしたち夫婦の購買行動は、今や全て「なくなったら困る店で買い物をしよう」ということが基準です。わたしたちにとって、インターネットで書籍を買う行為よりも、たとえ高くても日本の書籍が買える紀伊國屋や100年続く家族経営の地元の本屋さんの方がずっと大事なのと同じように、巨大なファーストフードチェーンよりも近所のダイナーやタコスの店に生き残って欲しいのです。
お金を費やすということ、何かを買うという行為は、このコロナの時代において尚更、自分たちで欲しい街を作るということに他なりません。人はそのことに気づいています。どんな世界に生きたいか。その質問の答えの先にいる店が生き残ることができるのだと思います。仮にいま多くの店が倒れてたとしても、力強い根さえ張ってあれば、辛い冬を通り越し、また新たな葉が生まれるとわたしは信じています。世界中で苦しい思いをしながら頑張っているレストラン業界の方が、少しでも報われる時が、一刻も早く訪れますように。
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