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カレーから呼び起こされた、餃子のキヲク

「コ・デザイン」から生まれた共鳴

10月26日のメッシュワークゼミにゲストスピーカーとして「コ・デザイン」著者である専修大学の上平先生にお越しいただき、デザインエスノグラフィーの話をお聞きした。1時間の講演はおもしろさ反面、リズミカルな展開とインプットの多さに圧倒され、正直どこを切り口に聞いて良いかさえ分からなかった。


講演直後に次々と質問を出せている他のゼミ生は感性が鋭く、聴く力や質問力のポテンシャルの高さ、アンテナの広がりと深い思考があり、一方で私は話の論点さえ見えていなかった、というのが本当のところだ。

やれやれ、である。

とはいえ、このゼミのすごいところは、全く頭の働かない私でさえも、その質疑応答や、ゼミでのディスカッションを聞いているうちに、不思議なもので、だんだんむくむくと疑問が湧いてくる。講義と、ゼミの化学反応から生まれた副産物とでもいうように。


2.5からはじてみる

身体性を伴う体験の段階について、上平先生は「2.5」から始める試みの話をされていた。

0ゼロ:人間は、全てをゼロから作ることはできない。
1イチ:種子、葉っぱ
2ニ :スパイス単体
3サン:カレールー
4ヨン:レトルトカレーパック

これってどういうことなんだろう。仮に、自分は2から調理を始められるとしても3や4である他者と共に2.5から始めてみるとは、どういうことか。また、2.5から始める身体性を伴う体験は、他者はどのように誘われ、受け入れていくのか。デザインエスノグラフィーとして一連の流れを掌握しようとすると同時に、共感性や受容はどのように生まれていくのだろう・・・とぼんやり考えた。

そういえば、もう5年以上前だったと思う。我が家の隣の畑に、ある日突然大きく育ったとうもろこしの苗がにょきっと生えていて驚いた。その時はその事象を全く咀嚼できず、何が起こっているのか(何を目的としてそのほぼ育った苗が植えられたのかさえ)わからなかった。今になって思えば、2.5いや、2.8くらいから始めているのではないかと思う。植えた人は、2.5と3のグレーゾーンから一体何を得ようとしていたのだろう。

0ゼロ:物をゼロから作ることはできない。(種は作れない?!)
1イチ:物を一から作るものもほとんどない。(種から植える、育てる)
2ニ :自分で育てる体験をする。(苗から植える。もはやどんな種なのかは知らない。)
3サン:収穫した野菜を下処理し、調理する。
4ヨン:出来上がったものを購入して消費する。(いらないもは廃棄する。)

日常生活は大体のことにおいて4スタートである私たちが、2.5発進でありたいと願う時、どんな工夫や思考を持ち合わせると、そこに立ち、また隣人の巻き込みが可能になるのだろうか。そこに元々存在する溝や、後からさらに広がっていく分断はどのように昇華されていくのか。4起点である私たちは、3や2に立ち返ること、あるいは実はそこに0や1が存在していたことに考えを巡らせることさえ難しいのではないか、と思う。また、その考え方そのものが4起点であり、一体どうやって、せめて2.5に立ち戻るということが可能になるのだろう。

もう私たちは、0(ゼロ)になれないのだろうか。例えば、2で収穫できた種はそれを0(ゼロ)と呼びうるとすれば、2まで戻ることができれば0(ゼロ)の存在に気づくことができるかもしれない。

上平先生の講義から考えてみた可能性(本稿筆者の私見)


完成形のレトルトパックカレー(4)がそこにあるときに「せいぜい具材が変わればポークカレーかチキンカレーかの違いがあることは分かるけれど、そもそも食材以外のスパイスの調合(3)にどれだけの意識を向けられるだろうか。さらに、土井善晴先生流にいえばレシピ通りに(3を)やっても同じ3はならないということに気づいた時、そのことにちゃんと向き合える胆力(2の存在を受け止めるチカラ)を備え、そしてそれをちゃんと浮かび上がらせることができる表現方法を持っているだろうかなどと、ゼミ生の質疑応答を聴きながら考えた。

いつか土井先生にもぜひ、哲学的に(笑)、いろいろお聞きしてみたい。


自己に内在する1と4

とはいえ、1や2スタートの人は、周囲にも結構たくさんいる。
例えば半農生活や半漁生活をしている人たちは1、2からと3との往還をしているだろう。その人々の残りの半営生活部分は、どうだろうか。特に農や漁から切り離された日常生活におけるの街の暮らしにおいては、出来上がったビジネス思考で動いていないだろうか。つまり、4起点という人が少なくないのではないか、と思う。

1か4かというのは個別の人間によって区別されるものでもなく、同じ人でも取組内容(事象)によっては時に1スタート、時に2、時に4スタートという事例を見かける。いろんな角度からの切り口があるとは思うが、これがもし上平先生がおっしゃっていたように、社会への啓蒙活動だとすれば、とても強いメッセージを持ち得ていなければ、両立はできにくい気もしている。同じ人の中にも、多面的に存在する思考のスタート地点について、これをどう咀嚼していくとよいのだろうと、さらに自分に置き換えてみることでより一層モヤモヤする。

特に仕事文脈では4を2.5に立ち返ってみましょう、みたいな話はとてもハードルが高いように感じている。この鬱陶しいぐずぐずした感情と思考に対して、上平先生は講演の後「ブルシットジョブ」に例えて返信くださった。なるほど、ブルシットジョブは4のカオスだし、そこらに本来散らばっているはずの1を見過ごす行為なのかもしれない、だから2.5に立ち戻るのは難しいのだと、腑に落ちた。


そして、カレーから餃子へ

上平先生もご紹介くださいった関野吉晴さんの「カレーライスを1から作る」は、あえて1からやってみる体験が「そもそも論」として自分の中に内在化することを確認できるものである。身体性を伴って表出化してくる過程を体験できるということなのだろう。
そして、それを映像化してアウトプットされる表現について、デザインエスノグラフィーの世界を少し分かったような気持ちになった。


20年ほど前にひき肉など売っていない異国で日本人が集まり、一から餃子を作ってみたことがある。どこからともなくかき集めなければ集まらなかった食材、一体どこで手に入れたのかわからない白菜とニラ(少なくともその国の人々は食べない。おそらく、華僑の人から買ったもの。)に、小麦粉、肉の塊。肉も普段見かけるのは輸入の冷凍鶏肉と冷凍羊肉の脂身の塊のみである。この日の豚は家畜としても飼われている高級品であるゆえ、ミンチなんてもってのほかであったが、なんとか貴重な肉塊も手に入れてあった。ただただ私たちは日本人が作る私たちの餃子を食べたいために、肉の塊をミンチするところからはじめ、小麦粉をこねるて皮を作るところから始めなければならなかった。延べ棒はないので、ビールの空き瓶をゴロゴロ転がして円形っぽく仕上げた餃子の皮。日本の包丁のようには切れないナイフで野菜をみじん切りにするのも、人間の手にとっても刻まれゆく野菜にとっても壮絶な作業過程であった。この身体性を伴うプロセスを経た餃子は、共同作業で焼く手前の段階ですでに3時間は要し、まさにそれまで生きてきた中で得られた、2.5の世界をなぞるような追認だったと思う。
思い起こされた20年前の記憶は、デザインエスノグラフィーで表すならこの先はどんな展開が待っているだろうとちょっとにんまりする。。。


「参与観察」とは何か・・・?!

上平先生の講義は、概ねデザインエスノグラフィーを中心とした話だったはずだが、いつの間にやら、私はいろんな記憶を絡め取りながら「そもそも参与観察とは何か」を考えていた、ように思う。


今回もまた、日々是筋トレ。
参与観察の意義が立ち現れた瞬間に遭遇した週末ゼミだった。

ばんざい。

(つづく)

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