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フィールドワーク合宿前〜第1日目前半まで

これは、今のわたしが日常生活で悶々と抱える課題と対峙するため参加したメッシュワークゼミナール第3期「人類学的な参与観察によって問いをアップデートするトレーニング」における記録である。

本ゼミナールではこの人類学的アプローチによる「問いのアップデート」を「個別研究プロジェクト」として実践します。講師陣からのアドバイス、フィールドとの往還から生まれる気づき、参加者相互のフィードバックなどを通して、当初の問いを練りあげていきます。個人で半年間のプロジェクトを実施することで、対象に粘り強くかつ柔軟に向き合うことが可能になるとともに、それが自分自身の思考を鍛えあげることへとつながります。

https://meshwork.jp/seminar

ゼミの応募開始を知って1週間くらい悩んだ末、わたしの「問い」らしき課題感を記入してエントリーたものの、そもそも「わたしの問い」とは何ぞや?!とモヤモヤしながら、はじめてのゼミ第1回の日を迎えた。初回はオンラインでオリエンテーションが実施され、簡単な職業などの自己紹介があり、ゼミ生のアルファベットや横文字の職業にわたしの地元では聞いたことがないぞ、とワクワクしたことを覚えている。とにかく皆優秀そうなバックグラウンドをお持ちそうであるなという印象を受けた。なぜなら、自己紹介の後に続いたご自分の課題感などについて、きちんと自分の言葉で話すことができる基礎体力(ポテンシャル)が高い人たちばかりだったからだ。

フィールドワークとは何か

第2回ゼミは、その1週間後、8月24〜25日に静岡県三島市でフィールドワークを行った。わたしとって人生初のフィールドワークであり、とにかく「フィールドワークとは何か」のアウトラインを掴むため、事前に今回のゼミの課題図書でもある「フィールドワークへの挑戦」(菅原和孝編、世界思想社)の前半部分を読み始めてみた。同著は、初版の2006年に一度読み、その時は自分がフィールドワークにでるとは思っていなかったこともあり、読み物としても菅原先生が学生の渾身の作をバッサバッサ斬っていくいく様が、とても快活で爽やかな読後感というのが以前の感想であった。ところが、18年ぶりの今回は「そもそもフィールドワークとはなんぞや?わたしは何をすればよいのか??」という自分ごとになってすがる教科書のような気持ちで手にとったため第一部を読んだところで、「これは大変なことになったぞ」「わたしにはここまでのことをこなせないな」と暗澹たる気持ちになったのだった。

そして、そのままわたしは、フィールドワーク第1日目を迎えた。


2024.8.24_フィールドワーク合宿第1日目(前半)

NHKの「鶴瓶の家族に乾杯」というテレビ番組をご存知だろうか。笑福亭鶴瓶とペアで、大抵は見知らぬ一般の方と話すことにあまり慣れていないように見える有名人が地方の街をぶら歩きする番組である。地域住民に気さくに話しかけとても自然に溶け込んでゆく会話の達人・鶴瓶師匠と、それに圧倒され戸惑う有名人の緊張感のコントラストがど素人のわたしに親近感を抱かせる。番組内では、前半は鶴瓶師匠と二人旅(フィールドワーク)を、後半は一人ずつに別れてその回のゲストも一人沖に放たれるのだ。このフィールドワークは、なんだかその放たれた感じと似ているな、と思った。

おそらく自由に見える鶴瓶師匠にもテーマ(もしかしたら脚本も)はあるのだろう。今回のフィールドワーク合宿においても、事前にざっくりテーマを考えてくるよう言われていた。ネット上にはそれなりに三島の情報は溢れているし、観光案内などのガイド的なアウトラインはある。だが、その土地の匂いがするような肌触りが掴めそうなインフォメーションはなかなか見当たらない。皆、どうしているのだろう。あえて言うならSNSで「#三島」などと検索してみると、わたしの嗜好にあうようなちょっと気になるお店や風景が流れてくるが、それでも温度や湿度、手触りや香りまでは分からない。

結局、これといったテーマも決められないままにフィールドワークの入り口に立つことになった。

一方、今回の第2回ゼミで、はじめてリアルで対面したゼミ生たちは皆「じぶん」の言葉で自身が考えていることを話すことににとても慣れている、ように見えた。与えられた課題にもちゃんとそれぞれの回答を用意していたし、「何も知らないところに行って、”何か”を調べてみたい」という問いをきちんと立てることができるクレバーな大人たち。第1回のオンラインゼミで対面した時よりもさらに洗練された言葉づかいにも感心しきりだった。そもそもそういった見えない課題に向き合うことに慣れているのか、瞬発力のレベルが高いのか、そつなくやっているように見せることでご自身を保っていらしゃるのか、あるいはそれがなんでもない普通の行為なのかさえもわたしにははかり知ることはできなかったが、とにかく圧倒されていた。


沖に出る

ひとりでフィールドへ出ることはまるで手漕ぎボートで沖に出る、みたいなことか。楽しみでもあり、不安もある。どこへ行くのか、いけるのか。釣りができるのか、潜れるのかも分からない。あるいはカヤック的なレジャーかも。

とりあえず、朝ごはんを食べていなかったので「三島、パン屋、美味しい」と検索サイトに入力し、結果に表示された出てきたパン屋のうち最も近い店へ向かう。店にはアルバイトらしき女子大生くらいの年齢に見える店員さんが一人、店内飲食スペースはなく、購入した鯖パンを店の外に置いてあったベンチで頬張る。鯖のフライとタルタルソースでお腹がいっぱいになったところで、はてどうしようかと悩む。

わたしはよく旅先で昼ビールを堪能する。その土地のクラフトビールや地酒ならより一層、風土を感じられているような気持ちになり幸せになる。

いまは、フィールドワーク中だが、この際昼からビールが飲めそうなお店の方へ歩いてみるか・・・と飲食店がありそうな方向(こういう時はだいたいいつも"勘")に歩き出す。


つまらない

それにしても朝から30℃を超えたアスファルトの上を外歩きするのはとにかく暑い。ギラギラ暑くて日差しが痛い。日本付近にいるという台風10号の影響もあるのか、蒸し暑さまで加わる。そういえば去年のゼミ生は、フィールドノートを、取るためのペンにフリクションペンを用いて、インクが熱で溶けていたとか。

勘だけでなんかありそうと思って歩き出した方向には、熱を吸収しながら空気をさらに加熱する黒いアスファルトと四角い建物ののっぺりとしたグレーの壁しか見えず、歩いていてもなんだか面白くない。進めども進めども何にも景色が変化しない時の荒れた海の上の気持ち。日傘を差しても、ツバの広い帽子をかぶってみても容赦なく射し込む日差しにうんざりしていた。

このままだと脱水症状になりそうでビールを飲むどころではない。せめて木陰があるだろう、緑の森、楽寿園方向に近づきながら歩いてみようと思う。


前へ前へ

行き先を転換してみると、見えてくる風景が少し変わる。路地には、古い建物をそのまま活用した旅館や中華料理店など、よい雰囲気を醸し出しているお店がポツポツ見え始め、こうなってくると少しテンションが上がってくる。古きことも良きこととされる街の空気がなんだか安心するな、と思う。

とはいえ、まだやっぱりどうにも暑い。このままだと暑さにやられて、わたしはどこかクーラーのきいた部屋に逃げ込んで、街歩きはできないかもと思っていた矢先、角地に立つ柔らかな土色の壁にオレンジ色瓦とイエローのテントを張った好奇心をくすぐられる建物が見えた。

ビタミンカラーに癒されたるや。


その店の角を回ったところの店の外の椅子でゼミ生のNさんがメロンの生ジュースを飲んでいた。どうやら果物屋さんのようだ。さいとうフルーツと書いてあり、生ジューススタンドがあるようだ。冷たそうだし、気持ちよさそう。

お店の方にさっぱりしたいのなら、と薦められたキウイジュースに決める。出てきたキウイジュースのストローは、タピオカが飲めるくらい太い。つまりキウイもそのストローで吸う必要があるくらいゴロゴロと入っているのだ。もはや食べもののようなジュースを氷とぐるぐる混ぜながら店先で思いっきり吸い込んだりした。なかなかごくごくとは飲めなかったので、ついには、日差しを避けるように涼しく座れる場所を探しながらキウイジュースを手にして再び歩き始めた。

ごろごろキウイと太いストロー


既視感のある景色に出会った。両岸の生い茂る緑の木々、透き通った水、川の中で歩いたり遊んだりしている家族連れ、カップル、友達同士、犬を水中散歩させている人。思い思いにせせらぎを楽しんでいる。荷物が少ないので近くのホテルとかから歩いてきた観光客かな、と思う。パッと見える範囲でも100人は居そうなので、人気の場所なんだとわかった。源兵衛川だった。

そこから1〜2分東方向に歩いた先の交差点で、鎌倉古道と書かれた看板と、車両侵入禁止のマークが見えた。車が通らないなんて素敵だ!と単純に歩きやすそうな古道の方へ進む。

ほどなく右手(南側)に讃岐うどん店が見え、まだ11:30くらいというのに店前の10人くらい並んでいる。四国出身のわたしとしては、まるで地元みたいだなとちょっと嬉しくてニンマリする。静岡で人気らしいこの店の讃岐うどんの味も気になったが、今回は、一応、限られた時間の中でのフィールドワーク中なので、次回にお預けとした。

古道を挟んで北側に、みしま未来研究所という幼稚園を改装した複合施設が見えた。クラフトビールが飲める店舗が入っていたが、ここで飲んでしまっては長時間居座って話し込んだりして、前に進めなくなる予感がするので、一旦は前を通りすぎる。


何もできない、通り過ぎてしまうわたし。

さらに古道を三島大社方向に進んで、右側に、80歳を超えているように見えるお爺さんひとりが座っている不思議な雰囲気を醸し出す青果店が見えた。とても気になったが、ここでは能動的に店に入ることも声をかけてみることも、ましてや写真を撮ることもできなかった。なぜだろう。ここぞというときに、何もできないでいる自分にうんざりした。店先に玉ねぎのコンテナ一つ、奥の冷蔵ショーケースに野菜と卵、その左手に鼠色背もたれ付きの事務回転椅子に座るお爺さん、店の奥に見える自宅のような居室。
何もできない、通り過ぎてしまうわたし。


そして、フィールドワークは続く。


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