幸せとは束の間なもの
あなたはどんな時に幸せを感じますか?
おいしいご飯を食べてるとき、親しい友達といるとき、恋人と過ごしているとき、趣味に没頭しているとき、旅行に行っているとき…
他にも人それぞれ自分を幸せにする方法を持っていると思う。だけど、常に幸せな気分で満たされている人ってなかなかいない。というか見たことないかな~
いつもご機嫌な人はもちろんいるけど、そういう人でもどこかピリピリしているときがあったり、うまくいかないときはやっぱり落ち込んでいたりする。
他にも、お金があれば幸せになれるかって議論がよくある。そりゃお金はあるに越したことはないけど、ある程度を超えても、使い道が雑になってくると思う。変なこだわりが出てきたり、ブランドがついていないと満足できないとか、喜びを感じる感覚がだんだんと麻痺してきてしまうんじゃないか。
日本はまだまだ先進国としての位置にあるけど、それよりもGDPの低い国に住む人たちが不幸かと言われると、決してそうではないはずだ。
ブータンなんかは有名で、経済力はたいしてないものの、幸福度は非常に高い。
なんでブータンの人たちが幸せかって考えたら、それはやっぱり今自分の持っているものに満足しているからではないかと思う。多くのものは求めず、自分の身の回りの人やものを大事にすることで、日々を幸福に暮らしているのではないだろうか。
僕なんかは常々「あれさえ手に入れば幸せになれるはず」と思ってしまう。だけど、いざ手に入れてみても思っていたより喜べなかったり、またすぐ新しいものが欲しくなったりする。
自分の目標や夢に向かって貪欲であるべきだと思う一方で、ほどほどにすることも大事だと最近は特に感じる。
幕引きや潮時を見極めるのはなかなか難しい。だから、人間は同じことを繰り返して間違えたり、失敗したりしてしまうのかもしれない。
でも、そういうのも含めて受け入れていくことで、少しずつ幸せの輪郭を帯びてくる。
「受け入れる」ってすごく難しい。とても曖昧な言葉だと思うし、どうも理解するのが難しい。
よく「物事は考え方次第」と気持ちをまるでスイッチのオン・オフみたいに切り替えられるという発想があるけど、新しい環境や人間関係に慣れるまでに時間がかかるように、新しい考え方や心構えを受け入れるのにも時間を要する。
だから、最初は思うように自分の気持ちを抑えたり、向き合うことができなくても、意識的に行っていくことで少しずつできるようになってくるのだと思う。スポーツや芸術だって練習の積み重ねが必要なように。
大事なのは焦らないこと、無理をしないこと。
結論を急がなくてもいい。
辛い気持ちを無理になくそうとしたり、消そうとしなくてもいい。これから楽しい思い出をたくさん作っていくことで、過去の後悔や忘れられない気持ちが少しずつ薄れていく。
幸せって何かを手にすることではなくて、本当はいつもそばにあって感じるものだ。
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『この世界の片隅に』とか『さとうきび畑の唄』などの戦争のテーマにした映画を観てよく思うことだが、こんな悲惨な状況にあっても、友人や家族と笑って暮らしている姿がそこにはある。
いつ自分や大事な人たちが亡くなってもおかしくない状況でも、生きている日々に幸せや喜びを感じることができる。
現代に住む僕たちに比べれば、遥かに辛い出来事と向き合い、思い通りにならない人生を歩まなくてはならない。それでも負けることなく自分の人生を全うしていく。
幸せって自分が居合わせている環境によるものではなくて、自分の在り方にあると思う。
僕らはついつい自分に足りていないものを探しがちだけど、実は持っているものがたくさんある。そういうのを見失っちゃうときがあるけど、一度立ち止まることで、また見えてきたりする。
自分の心を際限なく見たし続けることは確かに難しい。幸せな気分はいつまでもは続かない。でも、それって裏を返せば不幸な気持ちもいつまでも続かないってこと。
確かにどうしようもなく悲しい出来事ってある。自分の力ではどうにもならないようなこともある。それでも、その気持ちがいつまでも続くわけではなくて、必ず報われるときが来ると信じている。
心はまるで天気みたいだ。晴れの日もあれば雨の日もある。
雨の日は適当にやり過ごして、自分のペースで生きていけば、きっと自分の幸せが見つかるはず。
今日はそんな話。