岡内大三『香川にモスクができるまで』 〜未来の懐かしいコミュニティ・デザイン〜
長渕好きのインドネシア人
本書の大筋はこうだ。
日本には18万3000人の在日ムスリムがいる。そして日本一小さな県、香川県にも800人のインドネシア系ムスリムからなるコミュニティがある。しかし香川県には大事な信仰の場である「モスク」がまだない。
本書の主人公のような存在、インドネシア人のフィカルさんは、流暢な讃岐弁を操り、船の溶接工をしている38歳(2019年時)。日本に来て15年以上が経ち、日本人と結婚し、3人の娘がいる。長渕剛、松山千春、演歌などを愛する、義理と人情の男だ。
異国の地で、偏見にさらされまくっているイスラム教のモスクを建立するということがどれだけ大変なことなのかは想像に難くない。著者の岡内さんははその困難な道のりを丁寧に取材、というかほぼ並走しながら目に焼き付けていく。
この大筋を追うだけでも充分にエキサイティングな本だったろうと思う。異国の地で奮闘するムスリムたちを「応援する」だけだったとしても1冊の本には充分になり得たと思う。
日本の病の診断
本書の白眉は、なぜか日本のいちローカルで起こったムスリムたちの奮闘が、日本全体に蔓延している病のようなものを見事に診断してしまっているところにあると思う。
インドネシアからの技能実習生の問題、彼らが実践しているイスラム教の教え、相互扶助のコミュニティ、神や天国を信じること、あらゆる方面から、むしろ書かれていない日本について思い至るところが多かった。
しかし、その印象は、日本の行き過ぎた個人主義を知るにつれて覆ることもある。
相互扶助への揺るぎない信頼
モスクとなる建物を購入するためには数千万円の資金がいる。それをどうやって賄っていくかというとシンプルに「寄付」である。各地のムスリムコミュニティに足を運び、個人に直接会い、地道に寄付を募っていくのだ。
日本人の感覚で言うと、端的に無理難題である。希望の物件があっても、期限があるなかでお金を集めなければいけない。しかし、フィカルさんはいつも、フィカルさんである。
そして少しずつではあるが、寄付は実際に集まっていく。いわゆるクラウドファンディングのようなきちんとお礼が帰ってくる形の寄付ではない。モスクができたとしても足を運べないような、他の地域や外国からも寄付が集まってくる。日本人なら始まる前から投げ出したくなるような難題への挑戦を支えているのは宗教の教えに基づく信念。相互扶助への信頼感だ。
神もコロナでは揺るがない
異国でコロナ禍に見舞われていても、神を信じる人は揺るがない。
爽やかに覆る偏見たち
イスラム教といえば、テロ、原理主義、女性蔑視など様々なネガティブなイメージが自分にだってある。ターバンを巻いたり、ヒジャブを被ったひとたちをみれば、自分とは遠い世界に住んでいる人のようにも感じてしまう。そのような偏見が爽やかに覆されていく感覚が心地よい。
どんな宗教も、その原始に、大元に立ち返ると実に優れた教えばかりなのだと思う。イスラム教もきっとそうで、単に後世の人が捻じ曲げたり、極端な解釈をしてしまったり、どの宗教でも起こっていることが問題なのだろう。
おもしろいのは、モスクというのが想像の斜め以上の柔軟性を持っていて、自由なところだ。母体となる建物もわりと何でもいい感じ。元ラブホテルも候補にあがったりするぐらい自由。
平和のための宗教
イスラム教は、平和のために生まれたもの。その言葉を裏付けるように、実際に、著者はムスリムのコミュニティに温かく迎えられていく。
こんなことを、一体誰が言ってくれるというのだろうか。泣く。
最先端の懐かしいコミュニティ・デザイン
祈りにも、スピリチュアルなこと以外にも大きな意味がある。
先日見たスピルバーグの最新作『フェイブルマンズ』では、キリストの彫像や絵画を部屋にポップに大きく飾っている女の子が出てきた。キリストと一緒にプレスリーなどのスターの写真も一緒に飾られていた。不謹慎ではないことを祈るが、宗教が最も強大な「推し活」のようなものであるとすれば、それが生み出すコミュニティや一体感もまた強力であるだろうと、映画を見ながら思った。
祈りの場であるモスクは、人々が集まり共に祈りをささげるコミュニティスペースだけではなく、緊急避難場所としても機能する。本当に食うに困るような、生命が危ぶまれるような事態になれば、そこに駆け込めばいい。そのような場所があることは、きっと心の平穏に役立つだろうと思う。
なにか可視的な利益が得られるわけでもないのに、なぜこんなにまでして懸命にモスクを作ろうとするのか、本書を読み終わる頃には納得ができてしまう。
端的に彼らが手にしているものは、自分たちに備わっていないと、ないものねだりをしたくなる。ぼくたちには、モスクのようなものが必要なのではないのか。未来は常に懐かしい。最先端のコミュニティデザインは、長い歴史に育まれた知恵とともに、すでに存在していた。
後はぜひ本書を
たくさん書きすぎたので、著者の岡内さんの内面にどのような変化があったかまでは書かないでおこう。『最初は「異国で頑張る移民の現状を伝え、助けてあげたい」という気持ち』から始まったという取材。その変化もまた本書の白眉のひとつだと思う。
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