人生は長い暇つぶし。
人生は長い暇つぶしだと思う。
理由は二つ。
①大きな偉業を成し遂げても、恨まれることがあり、人々の記憶に残ることはほぼないから。
②死んだ後には何も残らないから。
①大きな偉業を成し遂げても、恨まれることがあり、人々の記憶に残ることはほぼないから。
いきなりだが、北極点に初めて到達した人の名前を知っているだろうか?
その名はロバート・ピアリーである。
雑学が好きな方であれば知っているかもしれないが、街中で100人に聞いても、答えられるのは1人いるかいないかだろう。
北極に初到達する、という偉業を成し遂げたのに、だ。
世の中にいる多くの起業家、インフルエンサー、その他多くの人たちが
もっと多くの人に認知してほしい、と日々奮闘している。
だが、今生きている内の一瞬有名になったところで、
人々の記憶にはほとんど残らない。
また、「他人のために頑張ろう」と思っても、
人々から「ありがとう」と言われることはほとんどない。
こう思うようになったのは、母の影響である。
私の母は現在、祖父の介護に尽力している。
祖父の視力がかなり弱いので、免許の返納をさせたり、
足に落とすと危ないのでステッパーを捨てさせたりした。
祖父のためを思ってやっているにもかかわらず、母は
「お前はワシの楽しみをすべて奪っていく」と恨み言を言われたそうである。
人のためにしたことでも、それをどう取られるかは相手次第。
その人の幸せが自分の幸せと思えるならそれでもいいが、
そうでないなら、まずは自分の幸せを優先すべきではないだろうか。
②死んだ後には何も残らないから。
これはそのままの意味である。
どれだけ苦労しても、残らない。
どれだけ幸せでも、残らない。
どんな生き方をしようと、死んだ後には全てが無意味なのだ。
・「将来のため」の『将来』とは?
もう一つ。
「将来のために頑張る」という言葉があるが、その将来とはいつのこと?
「来月」とか「一年後」と捉える人は少ない。
「40.50歳になったら」とか「老後」とする人がほとんどだろう。
では、それまで生きている確証はどこにある?
老後のために頑張ってお金を貯め、健康に気を遣っていても、交通事故で死ぬかもしれない。
それまでの頑張りは全て無駄になる。
であれば、「少し先を含めた『今』」を幸せに生きることに、
人生の時間をかけるべきではないだろうか。
(「少し先を含めた『今』」と表現しているのは、今この瞬間だけ快楽を追求することで、借金をしてでも贅沢をしたり、ドラッグに手を染めたりすることが正しくない、ということを示すため。)
・では、幸せになるためにはどうすればいいのか
幸せに生きる、といっても、お金を使って幸せになる方法は長続きしない。
例えば腕時計を買うことにしか幸せを感じられない場合。
数か月、数年に一回買った時には幸せだろうが、買えない間は不幸になってしまう。
そうではなく、あまりお金を使わない方法で幸せになるのだ。
例えば読書をする、観葉植物を育てる、散歩をする、絵を描く、
キャンドルを灯す。
こういうことでいい。
そういうことを繰り返して、毎日を過ごす。
それで初めて、自分の人生に満足することができるのだと思う。