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社会学者 品田知美さんに学ぶ 『「母と息子」の日本論』 (亜紀書房)と参考になる本の紹介


「押しつけがましい自己犠牲」の言葉に反応して、品田知美さんへのインタビュー動画を観てみました。


最後のメッセージ(22:00~)は、子供の人格を尊重するには…ということなのではないかと考え…

そこで参考になりそうな本として、山本周五郎とトルストイの本を挙げてみました。



山本周五郎の『小説 日本婦道記』の「箭竹(やたけ)」


ここに母と息子の日本論が描かれているように思うのです。

母 みよは

父上がいちばんお考えになるのは、あなたのことだと思います。あなたが人にすぐれた武士になり、父のぶんまで御奉公をするようにとそれだけお望みなすったと思います。あなたにはそう思えませんか

「そう思います。母上、そう思います」と、息子 安之助。

すると

「それならご自分の修行を一心になさい。そして千人にすぐれた武士になるのです。それだけがあなたのつとめなのです。母のことなど気をつかってはいけません。母には母のつとめがあるのです

安之助は父の跡目を再興することに。
その時の母 みよの言葉が表しているのは、何なのでしょうか?

品田知美さんの、この言葉ではなかったのでしょうか。

お母さんは「子どものために」と思ってやっていたとしても、それがよい結果を生むとは、かぎりません。母と息子は、独立した人格を持った、別々の人間です。母親の自己実現のために、子どもを手段として用いてはなりません。




母親が選択した教育方法として参考になるのが

トルストイは『アンナ・カレーニナ』第三章


母と子供の会話に不愉快に思うリョービン

なんだってこの母親は子供たちと、****語で話をするんだろう?まったく不自然で、情がこもっていないじゃないか!子供たちだって、それを感じているんだ。****語を教え込むことで、真心を忘れさせているんだ。


母親としては、この問題を何度も考えたあげく、多少の真実を犠牲にしても、この方法で子供たちを教育する必要を認めたのである

が…彼はそれを知らなかったのである。


・(…を)犠牲にしても

・(…の)必要を認める

・(…は)知らなかった


日本でもよく知られている『アンナ・カレーニナ』は、女性としてのアンナ、、そして恋人としてのアンナ。人間としての、それぞれの側面が描かれている。第4章には、女子教育についても書かれている。




最後に

偉大な企業も偉大でなくなることがあるものの、全盛期の記録を消し去る必要はない。歴史的な全盛期こそ、われわれの研究対象であり、発見をもたらしてくれるのである。

『ビジョナリーカンパニー④』


あなたは舞台の上に立って、大きな可能性が拓けている
としたら…
どれを自分で少しずつ体験してみますか?

神田昌典さんの動画から


一人の人間として、いろんな役割があるということを知ったうえで、(…を)犠牲にしても、(…の)必要を認める、でも(…は)知らなかった、という文脈が、誰にでもあり、どれを選択するのか、お試しでやってみるというのもありなのではないでしょうか。