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殺意

ネットで殺意を感じたのは初めてかもしれない。

この人は本気で私を殺したんだなって思った。


自分がしていることが社会的に間違っているって事は、分かっている。

その感覚で人が苦しむのも子供の頃から感じながら育ってきた。

そのせいで自分は性の大切な事にも大人になるまで向き合えずに、親から理解されず、自分という人間をずっと否定しながら生きてきた。


でもそれだとどうにもならないんだって気がついた。

人を憎むことと、自分を愛することは多分フィールドが違ってる。


だから自分のする事は全て良いも悪いも受けとめてやるって決めたんだ。


子供達には夫婦での愛情、人を好きになる気持ちが大事な事、身体と心の距離感の大切さ、不安定な時と楽しい時との発散の仕方を話してる。

それ以外にも欲を抑えようとして逆に依存してしまう自分とか、毎日のどんな事が楽しいかとか私がいつ死んでも楽しかったことや暖かかったことがそれが私じゃなくても、感覚として残るように話したり抱きしめたりする。


伝える必要のないことは私だけが分かっていればそれで良い。

家族を不安な気持ちにさせるような事は見せないし、感じさせないようにする、お互いに迷惑はかけない。

その辺りは他の人だって同じだと思う。



正当化しようなんて思わない。


私自身が他で発散することで、温かさを保てると知った。

元々欲が強すぎて相手を傷つけたり、逆に感情が保てなくなってレスになったり、病気になったりした。


殺したければ何回でも殺せばいい。

私を何回、殺したって構わないけど、

その分自分の何かが死んでいく。


何度もしてきたから感じるけど、どんなことでもどんな気持ちでも、してきたことしか帰って来ない。

この先、私も、あなたも。

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