服の沼へ潜ると、そこにはcomoliがいた。
推し沼、レンズ沼、靴沼など、世の中にはいろいろな沼があるが、私が最近ハマっているのが服の沼だ。現代社会で生きる以上、いつでも服は必要だし、汚れや劣化によって定期的に買い変える必要がある。以前、レンズ沼にハマったことがあるが、レンズはある程度の数を買うと満足できたのに対し、服についてはいくら買っても満足せず、常に新しいものが欲しくなる。デザインや素材の違いなどのバリエーションが非常に多いし、次から次へと新しいものが発表される。これまでハマった沼の中でも服の沼は一番深いかもしれない。
服はとても人間らしいモノだと思う。自然界で人間以外に服を着ている動物はいない。人類としてはじめて服を着たのは気候や怪我から身を守るためだったろうが、人類の歴史とともに服の位置づけが変わり、道具としての機能を超えたものとなっている。服によって着ている人の社会的地位を表したり、文化や芸術を表したり、主張を表現したりできる。
私にとっての服は、自分を表現し、時に隠し、また時には他者との違いを楽しむものだ。あまり他の人が来てない服装をすることで、自らの個性を表現するとともに、社会の「規範」に対して微妙な反抗をしている気分にもなれる。
服選びで一番重要視しているのは、着たときに心が沸き立つかどうかだ。
毎朝クローゼットの前に立ち、どの服を選ぶかを決める瞬間。これは一日をどう過ごすかを決める一大イベントである。カジュアルな服装を選んで楽な一日を過ごすか、ドレス寄りの服装を選んで背筋を伸ばす日にするか、悩みつつも楽しい時間だ。ここで気に入らない服を選んでしまうと、一日が台無しになってしまうので、どんなデザインであっても常に心が沸き立つ服を着ていたい。具体的なブランドで言うと、全ての服をcomoliでそろえたい。服の沼の深さがまだ腰あたりだったときはgraphpaperが一番のお気に入りだったが、だんだん深くなって頭が沈んだところで出会ったのがcomoliというブランド。空気感やヌケ感と着心地が大好きで、どの服を着ても心が沸き立つ。
しかし、comoliはロンTで2万円近い価格帯である。さすがに財布事情的に頻繁に購入するのは不可能。リセールバリューも高いのでメルカリの中古品もなかなかの金額である。そこで違うブランドのものを探し始め、それもやはり高いのでメルカリで検索、良いのがないので他のブランドを、、という毎日を過ごしているが、まったく終わりが見えない。Instagramやメルカリで服を探し、おしゃれだなー、でも高いなーとつぶやきながら、気づくと2、3時間たっている。
この服の沼。沼から抜け出したいと全く思えないのが恐ろしいところだ。むしろ自分から潜りにいっている。