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わたしの今年の漢字:婚

この一年は、結婚という2文字に振り回された一年であった。

わたしは発展途上国の子供の教育を支援するために月々5000円寄付している。これは、家業の店と研究職の兼業で収入に余裕があった頃に始めた。しかし、わたしは定職に就いているわけではなく、家業(跡継ぎ宣言して撤回してアルバイトに戻った親不孝者)と研究職(契約職員)で生活しているだけの、不安定極まりない経済状況であった。そんな中で結婚できるはずもなく、子どもがいなかった。こういうわたしでも、寄付で子どもを育てるお手伝いができたら。そんな思いがあった。しかし支援する相手は遠い国の子どもたちである。本人とも、そのお母さんとも会ったことはない。それが寂しかった。じゃあなんで外国の教育支援なんかやってるんだ、国内で寄付すればいいじゃないかという疑問を持つ方もおられよう。わたしだって、やり始めた後に気づいたんだ。どうしようもない。
その後、大学非常勤講師や学習塾講師の仕事を通して、10代の子どもに接するようになった。これは外国の教育支援とは異なり、子ども本人と毎週直接会えるし、時には親御さんとも話せる。そして親御さんが自分より若いことにちょっとショックを受けたりもする。ともあれ、外国の教育支援よりも格段に手応えがあって楽しかった。これをきっかけに、わたしは教育に本気で携わることを決めた。

他方、家業では中国人スタッフを何人か雇っており、日本語も英語もわからないスタッフがいる。日本語も英語も通じないのではコミュニケーションの取りようがない。わたしは中国語を学んだ。簡単な会話はできるようになった。
そして今年6月、中国語を学ぶために中国人を探していてロマンス詐欺に遭い、「収入に余裕のある生活」から一転して「奨学金返済用に貯めたお金を切り崩さないとやっていけない生活」に転落した。
転落はともかく、ロマンス詐欺を経験して思ったのは、自分でも気づいていなかった願望だった。わたしはこんなに結婚に憧れていたのか、と初めて知った。

ロマンス詐欺で痛い目を見た後に、国際協力活動でカリブ海地域へ渡航した。大英帝国の旧植民地なので英語圏なのだが、コロナで海外出張がなかった間にわたしは驚くほど英語ができなくなっていた。英語を喋ろうとすると中国語を喋ってしまう。これでは仕事にならん。わたしは帰国後、英会話の練習相手になってくれる、英語しか通じない人をSNSで探した。幸いにも数人の協力者を得ることができた。
しかしその内の一人は、求婚してきた。妙な経緯でわたしは結婚というものと再び向き合う羽目になった。

彼の場合、詐欺ではなかったが、経済力がなかった。結婚して日本に住むならわたしが養わなきゃいけないレベルで経済力がなかった。わたしは今の仕事を辞める気は毛頭ないので、彼の国に行って養ってもらう選択肢はなかった。
彼や母と話し合った末、わたしは彼に別れを告げた。
それが10月。

愛はないけどお金のある結婚。
愛はあるけどお金のない結婚。
前者は詐欺だったので架空の話に過ぎないのだが、わたしはとにかくこの両極端に遭遇した。
疲れた。詐欺だと気づかずに真剣に結婚について考え、疲弊した。忘れかけた頃にまた求婚され、将来性も実現可能性もないのに真剣に話し合い、また疲弊した。

そして12月、家業の店の忘年会に参加したら、中国人スタッフに捕まって積もり積もった話を聞かされた。オーナーへの疑問など、中国人従業員同士で話しても無意味なことを話す相手は、彼らにとって、オーナーの娘であり中国語の通じるわたししかいない。わたしの立場としては、オーナーを理解しているから説明できることもあるし、理解しているからこそ口外してはならないこともある。だからわたしに言われても困ることが多いのだが、仕方ない。
その長話を聞いている間に、雨が降り始めた。わたしたちは傘を持っていなかった。仕方がないので暇つぶしに喋り続けた。その中でわたしの結婚の話題になった。
「早く結婚しなよ。なんで結婚しないの?」とその人は言った。ちなみにこういう話題は中国では一般的である。プライベートなことだから言及を避けるなんてことはしない。遠慮なく介入してくる。ちなみにこの人は既婚者で、子どももいる。
わたしはこの一年を振り返り、返答に非常に悩んだ末、こう答えた。
「縁がなかったんだよ」
その人は笑った。
「彼氏はいたんでしょ?」
「彼氏はいたけど、10月に別れた」
「なんで別れたの?」
「彼は外国人で・・・」
「どこの国の人?」
「あの国の名前は中国語で何て言うのかわからない。ヨーロッパらへん」
「そんな遠いところはダメ。日本か、中国か、韓国か、ベトナムみたいな、近い場所の人がいい」
その4カ国すべてに知り合いはいるなと思いつつ、わたしは曖昧に笑った。
「待ってちゃダメだよ。自分から相手を探しに行きなよ」
同じことを他の中国人にも言われた。だからわたしは他の中国人に言ったのと同じ返事をした。
「でもわたしはもう若くないし、高学歴だし、こういう女と結婚したい男性はいないよ」
「確かに」と、その人は笑った。「それはそうかもしれないけど、あなたは美人だし、まだチャンスはあるよ。相手を探しなよ」
いや、もう疲れた。もう嫌だ。一年に二回も結婚について真剣に考え、破綻した。本当に疲れた。
わたしは口には出さなかった。ただ黙っていた。
たぶん全部説明すれば、その人は理解してくれただろう。今までずっとそうやってお互いの話をしてきた。でもわたしはその時、語るべき言葉を見つけられなかった。

わたしは、結婚はしてないけど、
わたしの子どもは塾に11人いるし。
たぶんこれからもっと増えるし。
独身のほうがキャリアの上では身軽だし。

正直、子ども連れの夫婦を見ると羨ましい。胸をぎゅうっと締め付けられるみたいに苦しい。この状況は、不幸せなのか?
いや、わたしは、大学や塾で若者の相手をしてるとめちゃくちゃ楽しい。心の底から充実している。結婚という幸せがなくても、わたしは十分に幸せだ。

やがて23時半近くになった。雨はまだ降り続いていた。
わたしはフード付きのパーカーを着ていたので、フードを被って「こうやって帰ればいい」と提案した。相手もフード付きの上着を着ていたので、二人でフードを被って雨をしのぎながら、それぞれの家に帰った。

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