世の中なんでもTime is moneyすぎる
母とご飯を食べに行ったときのこと。
母はその日ケータイを忘れていた
ご飯が届くまでの間、ゲームをして時間をつぶそうとした母はケータイがないことに気づき、ちょっと不便そうにした。
「ケータイ忘れたら、なくても困らないって思って過ごすんだけど、待ち時間ゲームしようとか、あることが気になって検索しようとか、ふと思ったその瞬間にケータイの存在感の大きさを知るよね」
そんなことを私は言っていた。
“何でも検索できる時代”。
私はこのことに関しては恵まれた時代だな。と感じる。グーグルが出だした時は、何でも検索できたら記憶に残らないとか、ボケるとかマイナスなことを言う人がいたような気がする。
私はそうは思わなかった。むしろ、検索を利用することによって効率よく情報を獲得できるからだ。
しかし、情報化社会という時代になってから、人々は“効率を求めすぎている”のではないだろうか。
最近メジャーリーグでは、ピッチャーの投球時間を短くするルール変更がなされた。
試合時間が短縮されるというものらしいけど、一説によると、ピッチャーとキャッチャーのサインの送り合いを観客が待ってられないという声があったからという理由もあるらしい。
私はピッチャーとキャッチャーのやり取りこそが、ドラマを生むのではないのかな?と思うのだけど…。
そんなことを母と話していると両親のエピソードを思い出した。
父が京都で学会があって、終わったら会おうと京都で待ち合わせをしたことがあったらしい。
方向音痴な母のことを気づかってか、父は「京都駅の○○口から1歩も動くな!」と忠告したらしい。
しかしそんな忠告を聞く母ではない。
着いてから少し歩くとある駐車場に到着し、父の車を発見した。
嬉しくなった母は、「ここに戻ってくればいいんでしょ!」とその場を離れて歩いた。
ケータイを持っていなかった時代、己の勘のみで突っ走った母は道に迷ってしまった。
(土地勘もないから当たり前だ)
お土産屋さんを見つけて生八ツ橋を買い、店員さんに「京都駅ってどっちですか?」と聞いた。
最初は店員さんの言うことを聞くものの、また方向音痴の自分の勘を信じて突き進み、迷子になったら生八ツ橋を買って道を聞いたそうだ。
どんどん増える生八ツ橋、しかし一向に京都駅にたどり着かない。疲れきった母はコンビニに寄り、雑誌を読んで時間をつぶすことにしたらしい。
すると後ろに気配が………。
「何やってんの?」父の声だった。
自由気ままに歩いていた母のことをどうやって見つけたか、亡き父に聞きたいところだ。
待つこと1つでもこんなドラマがある。
たまにはTime is moneyすぎる日々から離れてみたいなと思う今日この頃だ。
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