『終りに見た街』を見ました
朝の番組で宣伝していた単発ドラマ『終りに見た街』。
令和の家族が、戦時中の昭和19年に家ごとタイムスリップしてしまう話です。
主演が大泉洋・脚本が宮藤官九郎ということもあり、気になってたんですが、たまたま昨日途中から見ました。
が、ドラマを見終わった瞬間、「見るんじゃなかった」という感想が真っ先に出てきました。
夢に出てきたらどうしようと32歳女がなかなか寝れなかったぐらい怖い想いをしました。
しかし、こうやってnoteに残そうとしているのは、感じた“何かしら”を伝えたいと思ったからです。
いい内容とは思えなかったし、バッドエンドです。心に重く重くのしかかる話なので、ネタバレしたくない、見るんじゃなかったと後悔したくない方は、ここでバックお願いいたします。
あらすじ(ネタバレあり)
主人公は売れない脚本家。テレビプロデューサーから、終戦80周年記念のスペシャルドラマを脚本を無茶振りされ、大量の資料に目を通すことになります。ある日、目を覚ますと家ごと昭和19年にタイムスリップしてしまいました。
主人公一家以外にもタイムスリップしている知り合いがおり、彼らと戦時中を生き抜こうと奮闘します。
最初は現代の持ち物と食料を物々交換して忍んでいましたが、兵士によって家が燃やされ、戦争が激化していくに連れ、食糧難に陥ります。
生き抜くために偽の資料で国民として働き、ひっそりと戦時中に溶け込む主人公たち。
主人公は3月10日の東京大空襲を逃れるために荻窪にいました。過去を変えてはいけないと言うけれど、自分たちだけ無事なところにいてもいいのか。
そのため、3月10日に大空襲が起きるらしいと噂を流しまくる作戦に出ます。それで1人でも多くの人が救われるなら…。
主人公たちが噂を一生懸命流している一方、一緒にタイムスリップした子どもたちは、8月になったら負けるだなんてどの人も思ってない、自分たちも戦うべきだ、と意見を述べます。
喧嘩をしているうちに荻窪で空襲警報が鳴り響きます。このあたりで空襲があったという記録はなかったのにと戸惑う主人公。逃げている最中、テレビプロデューサーにそっくりな兵士を見つけます。
呼び止めると人違いということがわかりますが、その瞬間爆発が起こります。
気がついた主人公。辺りは静かで瓦礫だらけの場所に寝転がっていたのでした。自分の片腕はなくなっていて、一緒に逃げたはずの家族も見当たらず、ただただ叫ぶしかありませんでした。
何か感じる違和感。瓦礫はコンクリートだらけで、落ちているスマホに流れるライブ配信。遠くの建物を見るとスカイツリーなど現代的な建物が見えます。今は何年で、ここはどこなんだ?
瀕死の人を見つけた主人公は、水を与えながら尋ねます。すみません。今、何年ですか?
その人は「にせん……にじゅ……う…」と言い、息絶えてしまいました。聞こえてくるライブ配信によると、202X年の日本にミサイルが落ちたようです。
力尽き倒れた主人公の瞳には、幼き母と彼女をおぶっている幼馴染みが去っていくのが映っていました。これが主人公の見た『終りに見た街』でした。
はい、かなりのバッドエンドです!
調べると原作小説もほぼこの通りみたいです。
これを書いているだけでもかなりしんどいものですね。ドラマを見て一夜明けて、私は『猿の惑星』に似た話だなと感じました。
ドラマを見ている時、どんな結末を迎えるだろうと考えていました。主人公が終戦まで生き延びて、現在に戻って脚本を書き、話題のドラマができたといった結末かな?
3月10日の東京大空襲で人々を救ったことによって、主人公は生まれなくなってしまった。それでも主人公は後悔をしなかったという結末かな?と。
まさか、瓦礫の中で目を覚ましたら、平和だったはずの未来だったなんて…。いろいろがんばったのに、力尽きてしまいますね。
結局何が言いたかったのだろう?と私は考え、2つの答えのようなものを出しました。
1つ目は、主人公が戦争の体験をしたこと、でもそんな体験は実際なってみないとわからないことです。
視聴者である私も、ドラマを見ることで仮想体験をした感覚に陥りました。アメリカを「米国」と言わないといけない、やる気がないとわかると折檻される、パーマ=贅沢と思われる。
しかし、実際体験したわけではないから、悲しいとか大変だとかはドラマを見終えたら解放されるはず。主人公も耐えたら平和な現在に戻れると思っていたでしょう。仮想体験をしていたはずが、202X年では現実に戦争が起きていた。強烈なトラウマを主人公と視聴者に植え付けたと私は考えます。
平和な世の中は当たり前じゃない、こんな体験したくないよね?ということを教えてくれているのではないでしょうか。
2つ目は、本当にこれはフィクションなのかということです。もちろん、タイムトラベル要素などはフィクションであることには変わりません。
しかし、過去に戦争があったことは事実だし、現在も戦争している国はあります。今私が居るのが、たまたま戦争が起きていない2024年の日本であるだけ。
これからもし戦争が起きたとしたら、今回のドラマのような体験を本気でしないといけない、しかし、現在の平和のほほんな私たちでは到底生き残れないだろうということがわかりました。
しかも昭和の戦争からさらに文明が進んだ今、世界的に戦争が勃発したら、築き上げてきたものは一瞬にして失くなります。戦争に勝っても立て直す気力すら起きないでしょう。絶対絶対に体験したくない・するべきではないのです。
それでは今の私たちに何ができるでしょうか?
ロシアやウクライナの国境で戦争反対!と訴える?
おそらく国境に着く前に潰されるでしょう。
だからといって、今から国会議員になれるわけでもありません。働く・ご飯を食べる・時々息抜き…。日々を過ごすことで精一杯です。
私たちにできることは小さいです。逆を言うと、平和だからこそ好きなことができるはずです。
できることを好きなだけやる。これが一番重要なのかなと考えます。
そして、私のおじいちゃん・おばあちゃんが戦争を体験したんだよ、それはもう悲惨だったんだよ。と後から生まれた人に伝えることも大切だと感じました。
主人公の「どんな理由でも人を殺していいということにはならないんだよ」というのが印象的でした。
本当に心の底から思います。
久々に長く書きました。
最後まで読んだ方、おつかれさまです。