日本文化を一身に背負い、「昭和」に殉じた作家 島内景二
◆三島の文学形成期
本書の柱は、二つある。一つは、青春の可能性である。執筆中の私に最も有益だったのは、学習院時代の親友・三谷信の回想記だった。彼は『仮面の告白』に、「草野」という名前で登場する。この三谷に導かれて、私は三島の文学形成が青春時代になされたことを確信した。そして、名作『潮騒』や『春の雪』の原型が、学習院高等科の師弟関係や古典学習にあることを、新たに突き止めた。
若き三谷が何度も訪れて文学の夢を熱く語り合った当時の三島の家は、渋谷にあった。三島の自決後になって昔のままの家を目撃した三谷は、「冷水を浴びた様に立ち竦んだ」と述懐している。
三谷は、ここでシューベルトが歌曲集『白鳥の歌』で深遠な曲を付けたハイネの詩「分身」(ドッペルゲンガー)を重ね合わせている。この詩は、根っからのロマン派だった三島の本質を照らし出す。試訳を示そう。
《しめやかなる宵、われよりほかに、この道を行く人なし。わが人かつて、ここに住みけり。かの人はやく、ここを捨てたり。その住まひのみ、さながら残る。
見よ、男ありて、空を見上げて涙ぐむを。その男、苦しみにえ耐へで、はた天の逆手し、はた足摺りす。月かげ漏りて男を照らせば、わが心に氷は張りぬ。その面輪は、古のわが面差しなりければ。
男よ、今一人のわれよ、生きたる死者よ。いかなれば、なれはわが昔の振る舞ひをまねぶや。かつてわが、この住まひの前にたたずみて、夜ごと恋の思ひに泣き、繰り返したる愚かなる振る舞ひを。》
(ハインリッヒ・ハイネ作、島内景二訳)
この詩の中の「男」こそ、三島由紀夫であり、私でもある。三島は、日本の古典文化の申し子であり、「古典の女神」の分身だった。三島が、どんなに永遠の女神の前で身もだえたことか。
◆天命と源氏物語への挑戦
古典学者である私も、三島と同じように、古典の前で立ちすくむ。だから本書は、源氏物語の研究をライフワークとする私が、文学史の流れの深淵をえぐり出すべく、三島と源氏物語との間でくりひろげられた死闘劇を再現したものである。これが、本書の二つ目の柱である。
日本の古典文化、中でも「至宝」とされる源氏物語に、弱点はないのか。源氏物語という傑作を持ちながら太平洋戦争を起こして敗れ、戦後の精神的堕落を引き起こした日本文化は、どうすれば蘇り、まことの現代文学として再生できるのか。そのためには、源氏物語を超える傑作を完成させねばならない。それが、三島に与えられた天命だった。
十代の学習院時代から営々と練り上げてきた三島の戦略が、「豊饒の海」四部作で炸裂する。最終作『天人五衰』の結末が、果たして源氏物語を超えたかどうか、本書の最大の山場である。願わくは読者であるあなたに、究極の死闘の勝敗を判定してほしい。
本書は、没後四十年の三島と、現代日本で存在感が少しずつ液化して輪郭が見えにくくなっている源氏物語に捧げられた、私の渾身の挑戦状である。
(『ミネルヴァ日本評伝選通信』2011年3月号)