今月のフクロウ 2025年1月のおすすめ書籍(本文一部公開)
『家族写真の歴史民俗学』
川村邦光 著
これまで記念的に撮影される「家族写真」の多くは画一的で凡庸と見なされ、写真史や美術史においては注目されてこなかった。一方で、近年では災害や社会不安が続くなか、家族の記録や絆の象徴としての意義を再評価する向きもあり、家族史やジェンダー論の研究の進展から、新たな視点でも関心が高まっている。本書では、一九世紀から現代に至るまでの家族写真の構図や撮影された背景を分析し、社会における家族の表象、また個人が過去や死者と向き合う際のよすがとしての「家族写真」を再考する。
「序章 鶴見良行の家族写真論」から
本文一部公開
1 山田太一『岸辺のアルバム』の家族写真
家族写真、きわめてありふれた写真である。ほとんどの家にあり、年代物の数多くのアルバムに収められて、大切に保存されているだろう。普段は家庭アルバムを頻繁に見ることはないが、家族メンバーのなんらかの機会に、あるいはアルバムに写真を収める際に、時折、眺められる程度だろう。それでも、どこの家庭でも家族写真を撮りつづけ、家庭アルバムを作りつづけている。
色褪せた簡素なモノクロの家族写真、全員がしゃちこばった表情、仏頂面で、緊張した身体を直立させている。暗く陰鬱な雰囲気を漂わせ、面白味のない、ワンパターンの写真だ。なけなしの金をはたいたわけではないだろうが、少なからぬ経費を要しただろう。写される方は嬉々としてカメラの前に立ったはずはない。いやいやながら、撮影の時間に耐えただろう。
そのようなモノクロの家族写真に、誰も眼を向けはしない。美的なセンスどころか、芸術的な価値などさらさらない。凡庸な写真として、写真史でも、美術史でも見捨てられ、顧みられてこなかった。だが、じっくりと見ていると、けっこう味わい深い趣がある。その暗さには重厚な雰囲気が漂っている。今では不在の者がぬっと現われてくる。喪失してしまったのは、なんだったのかと語りかけてくる。
家族写真や家庭アルバムが脚光を浴びたのは、おそらくテレビドラマ『岸辺のアルバム』(脚本:山田太一、一九七七年TBS系放映)によってであろう。このドラマでは一九七六年の台風一六号での多摩川の洪水に触発されている。家庭崩壊の危機にある家族が登場し、洪水で家が流されようとするさなかに、家庭アルバムを捜し出し、家が濁流に流されていくのを家族全員で見守っているシーンで終わる。
ドラマ『岸辺のアルバム』は一九七〇年代の中頃、不況とインフレの共存した、スタグフレーションと呼ばれる経済成長の停滞するなかで、家庭崩壊の危機が叫ばれていた情況を反映していよう。近年でも、「幸福な家族の暗黒面を容赦なく暴き出し、今もテレビドラマの最高峰であり続ける」(石飛徳樹「時の回廊――山田太一『岸辺のアルバム』」『朝日新聞』二〇一二年一一月二七日付夕刊)と振り返られている。最近も、家族の各々に秘密があり、崩壊寸前の家庭を描き、「テレビドラマは『岸辺のアルバム』前と後に分けられるとも言われる」(頭木弘樹「ひもとく 山田太一の世界」『朝日新聞』二〇二四年一月二七日付)と、評価は高い。
坪井洋文の「故郷の精神誌」(一九八六年)は、家族写真を論じた、きわめて少ない研究のなかのひとつである。それは『岸辺のアルバム』について述べていないが、同じ多摩川の洪水によって、堤防が決壊して家を流された罹災者たちが貴重品や家財ではなく、家庭アルバムを探し出したというところに着目している。家庭アルバムを探し求めた動機は「自分たちが生きてきた確かな証しを手にするためだった。家族であることの証し、社会人であったことの証しは、写真以外には求めにくいというのであった」〔坪井一九八六:二六九〕と坪井は記し、次のように指摘している。
日常の生活ではあまり意識もしないアルバムであるが、いったん異常な生命の危機に直面してそれから脱却したときに、まず意識にのぼってくるということは、現代の日本人に普遍的な現象だといってよかろう。金では買えないものが生命とその一生であり、非日常のときに際して生命の安堵感とともにアルバムが渇望されてくるというのは、いかに現代の生活が家族の血縁を基盤とした関係のうえに成り立っているかを知らせてくれるが、その絆のひとつがアルバムであることは注目に価すると考える。〔同前:二六九~二七〇〕
はたして、危機への直面と脱却の際、家庭アルバムを意識するのが「現代の日本人に普遍的な現象」なのか、家庭アルバムが「血縁を基盤とした関係のうえに成り立っている」家族の「絆」になっているのか、あるいは家族の「絆」を再生させることができるものか、問い直してみるに値しよう。坪井の議論はこれに止まらないが、家庭アルバム、またそこに収められた家族写真はアイデンティティの証明、家族を結びつける紐帯となるとする、社会的な機能を見出していることを確認しておきたい。
山田太一の脚本『岸辺のアルバム』〔山田一九八五〕から、この家族を少し見てみよう。家庭アルバムを探すシーンでは、八千草薫の演じた妻が「どうしても欲しいものがあるんです」と言う。息子がなにかと尋ねたのに対して、妻が夫に向かって「アルバムよ」と言う。夫は妻を見るが、黙ったままだ。妻は夫に向けて「全部じゃなくてもいいわ、二冊でも三冊でも、アルバムとって来たいんです。家族の記録なんです。かけがえがないんです」と言いかける。夫妻の二十数年にわたるアルバムがそれなのである。
夫婦と娘と息子の四人家族、それぞれの事情で互いに心が通わず、家庭崩壊の危機にあり、ばらばらであった。だが、家庭アルバムを家のなかから六冊ほど捜し出し、流されていく家を見守っているシーンでは、「動かない四人。しかし、謙作を中心に、四人しっかりと身をよせ合っている」と、父親を中心にして、家族全員が寄り添っている。そして、ドラマの最後には「この四人が、どんな幸せの中にいるか、どんな不幸せを抱えて生きているかは、みなさんの御想像にゆだねた方がいいだろう」というスーパーが出て終わる。
このテレビドラマの脚本では、家庭アルバムは〝かけがえのない家族の記録〟と呼ばれている。アルバムには、おそらく夫妻の結婚から子供の出産、成長、入学、卒業、家族旅行、マイホームの購入・入居などの写真が収められているのだろう。写真館で撮ったものもあるだろうが、多くは自前のコンパクトカメラによって、それもおもに父親が撮影したのだろう。記憶や文字による記録ではなく、写真という視覚的な媒体を断片的に繋ぎ合わせることによって生まれてくる「家族の記録」あるいは〝家族物語〟である。それがかけがえのないものになっている。写真による「家族の記録」は、コンパクトカメラが各戸に一台といった具合に、家庭に普及していった、一九六〇年代半ば以降の都市家庭の慣習もしくは家庭の都市民俗となっていた。
【目次】
序 章 鶴見良行の家族写真論から
1 山田太一『岸辺のアルバム』の家族写真
2 家庭写真の歴史主義の時代と芸術主義の時代
3 家族写真と遺影
4 東日本大震災のなかの家族写真
第Ⅰ部 家族写真の来歴と展開
第一章 欧米の家族写真
1 家族肖像画から家族写真へ
2 家族写真の構図とスタイル
3 聖母子像と聖家族像の近代
コラム1 家族写真にみる故人物語――夏目漱石
第二章 日本の家族写真の来歴
1 日本人と写真の出会い
2 日本最初の夫婦写真
3 日本における初期の家族写真
4 幕末・維新期の家族写真
コラム2 家族写真にみる故人物語――与謝野晶子
第三章 日本の家族写真の展開
1 近代日本の定型的な家族写真スタイル
2 権威的な威信財と家族写真
3 戦争期の写真時代
コラム3 家族写真にみる故人物語――斎藤茂吉(1)
第四章 家族写真の変容
1 日本における親子写真
2 子供を中心にした写真へ
コラム4 家族写真にみる故人物語――斎藤茂吉(2)
第五章 子供写真と家族写真の存続
1 子供写真のスタイル
2 アマチュア・カメラマンのスナップ写真
3 フォーマル/インフォーマルな写真体験
コラム5 家族写真にみる故人物語――柳田國男(1)
第Ⅱ部 家族写真の写す社会と個人
第六章 天皇の家族写真
1 翻身する天皇とモーリス - スズキの家族写真論
2 戦中と敗戦後の天皇家族写真
3 天皇家族写真の現在と行方
4 原爆と家族写真
コラム6 家族写真にみる故人物語――柳田國男(2)
第七章 アマチュア写真家のスタイル――塩谷定好の抒情派子供写真
1 山陰のアマチュア写真家・塩谷定好
2 塩谷の写真技法と海辺の光景
3 塩谷の子供写真
コラム7 家族写真にみる故人物語――塚本博利
第八章 ドキュメンタリー家族写真――社会生活派の影山光洋
1 社会派カメラマン・影山光洋
2 敗戦前後の影山家の日々と家族写真
3 家族物語と国家物語、そして亡児の故人史
4 影山の家族写真スタイル、故人物語から故人史の編集へ
コラム8 東アジアの家族写真――台湾
第九章 家族写真のアート化と変貌
1 深瀬昌久の反家族写真
2 福島菊次郎のドキュメタリー反権力家族写真
コラム9 東アジアの家族写真――韓国(1)
第十章 家族写真スタイルの現在と諸相――多様化/複数化
1 家族の危機と家族の絆の家族写真
2 家族の絆の現状
3 年賀状の家族写真
4 展示される家族写真
5 発掘される家族写真――過去/未来への記憶の共同体を構築する
コラム10 東アジアの家族写真――韓国(2)
終 章 故人史を妄想する
1 懐旧的/予期的歴史化による物語創出
2 未完の故人史へ
参考文献
あとがき
人名索引
事項索引
2024年11月19日発売
税込4,180円
A5判/ハードカバー/376頁