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宣長と『宣長全集』   田尻祐一郎

◆矛盾?

 宣長について何かを言えば、それとは正反対の宣長の顔がスウッと現われる。それだけ矛盾を抱えた人物なのだというような言い方が出来るのかもしれないが、多かれ少なかれ思想家とはそういうものだろう。しかし宣長の場合、その程度が突出して甚しいように思われる。

 堅実な実証をこととする学徒でありながら、『古事記』の所伝を事実として信じよと説いてやまない。あらゆる物事について、その「こヽろ」を知れば、すべて歌材となりうると言いながら、『新古今和歌集』を至上とし、自らの歌風は型通りで凡庸。鋭利で秀れた合理性をもち、旧来の常識や権威に果敢に挑む一方で、「皇国」の絶対視はどこまでも譲らない。

◆『古事記』信仰?

 宣長は、『古事記』の物語を隅から隅まで事実として信じていたのだろうか。信じているという言明を拾うのは簡単だが、ギリギリのところでどうだったのだろうか。この点で大胆に論断するのが吉川幸次郎で、「本当にそれを信じていたのかどうか疑う」と述べている(「江戸儒学私見」『全集』第二十三巻)。吉川は、アマテラスは太陽そのものだというように宣長が信じていたはずはなく、壮大な文学的・歴史的虚構として『古事記』を捉えていたに違いないと言いたいのだろう。

 吉川の議論が正しいのかどうか、私には判断ができない。アマテラスをめぐる上田秋成との論争で宣長が見せるあの意固地さは、『古事記』を信じる神学者としての宣長の真骨頂であろうが、秋成が直感的に見破った宣長の中のフィクションの露呈を恐れ、いつもの冷静さを失ってのことだと解釈すべきなのかもしれない。いずれにせよ、答えは誰にも分からないし、あるいは宣長自身も、常識的な意味での答えは用意していなかったのかもしれない。

◆『全集』について

 話は全く変わる。今回の執筆にあたって、もっぱら筑摩書房版の『本居宣長全集』(全二十巻・別巻三巻、一九六八~九三年刊)のお世話になったのであるが、これだけの史料――とくに宣長の書簡、宣長への来簡――が、激しい時代の波をくぐって保存されてきたことの有難さを身にしみて感じた。本居家の方々をはじめ多くの関係者が、宣長の学問を敬慕し、文字通りに断簡零墨までも後世に伝えようとすることでそれらの貴重な史料が今に至り、さらに長い時日が費やされて『全集』に結実したわけである。どれほど感謝しても足りるものではない。

 感謝といえば、この『全集』を編んだ二人の碩学、大久保正と大野晋の両氏にも深く感謝しなければならない。洽博な学識に裏づけられた、その精確で緻密な本文校訂や解題があって、信頼すべき『全集』が、今ここにあるのである。そしてもう一つの感謝は、計画の立ち上がりから数えれば、三十余年に及んだというこれだけの事業を完結させた出版社の志の高さに――。

(『ミネルヴァ通信「究」』2025年1月号)

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