徒然報告 @11月頭、大統領選開票前夜
博士課程の旅路というのは、いくつもの山を順に超えていく感じだなと思う。一つ山を越えたらまた別の山がある。歩いているときは今歩いている山で頭がいっぱいになってしまうけれど、多分5年後には山脈を超えているんだろう。山は人によって違う部分もあるし、一般化できる部分もあるんだろうと思う。
私の場合最初の山は、"言語化・文章をコンスタントに生産するhabitの確立"だったと思う。今、次の山 - "中期サイクルを作る"にいる、というのが最近の感覚だ。この中期サイクルというのは、質的なアップデートに欠かせない。いいペーパーを作るのには手間暇かかるのだ。
ここまで塗りの種類がいくつかに渡り、それぞれの塗りサイクルが短期だったり中期だったり、と異なる塗りを重ねに重ねて何かを作ったことが今まであるだろうか?と考えた。多分、無い。これは多分論文でなくとも、画家が絵を描いたり、小説家が小説を描いたり、スポーツ選手が自らの肉体/動きを作り込むことと本質的に同じことなのだと思う。単純に、ここまで一つの道を極めるということを、30年の人生で今までしてこなかったんだなぁと悟り、あーあもうちょっと職人極めて生きてくればよかった、と思うなどした。まぁでも今気付いたのだから多分遅くない。今からこの道を進んでいけばいいのだ。
それと、リサーチアシスタントをすることになった。コンサルプロジェクトをとても思い出す ー ただ今回の場合、分析の質が”半端ない” (まぁメンバーが全員研究者なので当たり前かもしれない)。
統計が使えるというのは、会社人的な言葉を使うと、データ分析がスゴイ精度でできるということだ。それはプラクティカルな ー アクションプランに直結した ー 提案を、エビデンスベースで作れるということでもある。だから、お金をとってきて分析をして解決策の提案をするといういわゆるコンサルプロジェクトととても相性がいいのだと思う。動くお金を見ていて、アメリカのサイエンスへの投資は規模が違うなとつくづく思った。(日本でコンサルとして見てきたのと同レベルの金が動いている、と言えば伝わるだろうか。)
懐かしいワークを、もっと高い精度で、もっとphilosophyとtheoryを持ってできるのだから、こんなに楽しいことはない。
個人的には(割と真剣に)、コンサルからのPhD転職のススメを提案したい。
そんな感じで楽しくやっているのだが、一方で最近、依拠する概念的前提が増えてきたので、共通の概念的前提を持たない人との会話が難しくなってきたように感じた。前提となる概念が3個くらいだったら、例・比喩で何とかなる。でも前提概念が10個くらいあると、例・比喩が含む「ノイズ/ズレ」が、x10 ー 10乗かもしれない ー される訳で、そうなると酷く精度の落ちた話しかできなくなる。なるほど、これが象牙の塔と化す一因か、と思った。本質的に重要な部分を失わない形で、publicに伝わるsimplificationの術を身につけることが必要だなと思う。
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キャンパスでは共和党系の学生団体が、共和党の代表メディア的なところのラジオパーソナリティを呼ぶイベントをやるというマスメールが回ってきた。その団体はガザの件でも、アンチ・セミティズムだ!という謎パッケージングで酷くジェノサイドを正当化する言説を垂れ幕などの形でキャンパスに撒き散らしていたので、覚えていた。
フルブライターの仲間に、ガザから来ている人がいる。家族がガザにいる彼は、毎日、あまりに深く絶望に満ちた「叫び」を発信し続けている。ポストを見る度に、彼の心が血を流している様が伝わってくる。だから、このキャンパスでそういう団体の言説を目にする人が受ける精神的ダメージを、あまりにもリアルな重みを持って想像できた。その言説が公共空間に許されていることが、暗黙のうちに送るメッセージというものがある。
明日火曜日の夜から大統領選の開票が始まる。もしまた「彼」が選出されたら、精神的に耐えられないという悲痛な想いのシェアが、ある授業でドミノのように起きた。そうしてある先生が、せめて”共にある”ことで痛みを和らげよう、とelection nightのgatheringをセットしてくれた。
どうなるんだろうーあえて、前夜にノートを残しておこう、と思った。