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アイオワシティ: 愛すべき"little bubble"

気付けばこちらに来て一ヶ月が経とうとしている。
それなりの新鮮さはもちろんあるのだけど、どこか5年前の"つづき"にいるような、記憶の底に仕舞っていた感覚を掘り起こすような日々だ。

印象というのは時の経過と共に忘れてしまいがちなので、この街のざっくりとした今の印象を書き留めておきたい。

"Iowa Nice" - この一ヶ月で何度も耳にした表現だが、これが世間的なアイオワの印象らしい。のんびりした中西部にあってとりわけ親切でナイスな人が多い州、という訳だ。へぇ、と思いながら聞いていたが、マサチューセッツ出身の教授が"Masshole"って知ってる?と中々自虐的なことを言ったり、シカゴ出身のcohortが"シカゴでは信号が変わった瞬間発進しないと、クラクション鳴らされるからね"と言いながら、「でもアイオワは違うよね」に二人とも話のオチを持っていく様を見て、なるほど割と普及した印象らしい、と感じるに至った。
個人的な印象としては、確かに目下お店の人も大学職員もフレンドリーでのんびりした人が多いとは思うが、例えばナイジェリアやノースダコタ州などもっと"communal"な社会からきたという人たちは「ここの人は全然フレンドリーではない」と言っていたので、比較の問題だろうとは思う。少なくとも1000万都市TOKYOと比べれば、reciprocityが根付いた社会のように私は感じる。

ここの人はアウトドア好きが多いようで、散歩・ランニング・サイクリングに勤しむ人の姿を頻繁に見かける。"アメリカではヒトは歩かない"という先入観を持っていた私は、かなり驚いた。気になったので「歩いても安全なの?」と聞いてみたのだが、「深夜にダウンタウンのバーストリートを歩くのでなければ大丈夫だよ、あそこはセメスターに一回くらい発砲事件あるから避けた方がいいかもね」との答えだった。は?セメスターに一回発砲事件?(多くない?) という顔を私がしていたのか、「でも誰も死んでないよ!それにシカゴとかはセメスターじゃなくて週に何回、って感じじゃない?」と補足してくれた。まぁ、私は石橋を叩いて渡るタイプの人間なので大人しく部屋から3分のコミュニティジムに通っている。

アウトドアに勤しむには絶好の、素晴らしい自然があるのは確かだ。だからなのか環境意識もとても高い。地域の電力消費の88%は風力発電らしいし、アイオワシティでは今年8月からバス運賃無料化のパイロットプロジェクトが始まっていて、元々無料の大学運営バスがカバーするエリアと合わさるとかなりの範囲まで無料で行けるようになった。また連邦政府のネットゼロ関連のグラントを受託しているらしく、今後他にもエコな交通関連施策が実施されるらしい。
「アメリカは車社会」という先入観とはこれまた反するが、自転車で頑張っている人は確かにちらほら見かける。「頑張っている」というのは、こちらにはママチャリなど無いので、いわゆるロードバイクの前後に子供や荷物を乗せる「車体」を連結して走っているのだ (イメージはヤマトの自転車)。ちなみに見事な自然が広がる場所なので、道のアップダウンは場所によってはかなりある。
とはいえ結局バスはピーク時は20分に1本、そうでなければ1時間に1本という具合だし、時刻表通りにはまずこない。車があればそれが一番便利だろうとは思う。

ここまでは中々キュートな中西部のカントリーサイドの話なのだが、社会学部のランチイベントで、この街は"little bubble"だよねという話になった。
学部生の中に中々"スゴイ"人がいたらしく、cohortが担当しているクラスで、彼女の目の前で「男とは〜女とは〜」と彼の身勝手なジェンダー主観について演説をぶちかましてきた学生がいたそうだ。彼女曰く「キレそうだったけど、でもアイオワシティではなくアイオワ州全体の傾向を考えれば、そういう人がいることはわかる」とのこと。
アイオワ大学の面白いところの一つは(どこの学校もそうかもしれないが)、学部より大学院の方が多様性が明らかに高くなる点だ。大学院には、色んな州・国から学生/ポスドクが集まる。でも学部生の多くは、生まれてこの方アイオワ州から出たことがないという人がマジョリティらしい。
そんなアイオワ州の中にあるアイオワシティはだから、決してピュアなリベラルバブルという訳ではないだろうけど、でも全体的には「青い」と今の所感じる。(社会学部な時点で「青い」人しかいないという話はある。)
でもこれはアイオワ州自体のカラーとは異なる、大学街としての小さなバブルコミュニティの色、ということらしい。

学部生の時、三鷹の森のリベラル空間の中で自由に議論をしたこと、それは初めて息が吸えたような解放の時間だったけれど、一歩アカデミアを出てマジョリティの日本社会に戻った瞬間、忘れていた息を殺して生きるような閉塞感が、なまじ学んだが故により一層の重みを増して覆い被さってきて、果てしない絶望を感じた。
あの時の三鷹の森の"つづき"が、今アイオワシティのNorth Hall4階にあるのかもしれない。それはとても心地が良いことなのだけど、そこが"バブル"なのだということを忘れてはいけないのだと、あらためて思った。象牙の塔に閉じこもるためにアカデミアに戻った訳ではないから。

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