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2年目ということ: 「いらっしゃい」

まだ学期が始まって一週目なのだけど、忘れないうちに書き留めておきたいと思い、書いてみる。

ジムでランニングをしながらよくPodcastを聴くのだけれど、先日「Talk of Iowa」という、NPRネットワークの一部だというアイオワ公共ラジオ局の番組を聞いてみた。なぜ住み始めて一年も経ってから聞き出したのかと言われるとスミマセン…という感じなのだが、平たく言えば一年目は適応に精一杯で、余暇までアメリカに染まっていられるかという感じだったかもしれない。まぁそれでなんとなく聞いてみるか、という気分になったので聞き出したのだが、これが中々かわいらしいというか素朴というか、あぁ確かにアイオワンってこういう感じかもなぁと思うようなものだったのだ。
冒頭10分は、ひたすらいかに秋のプレーリーが美しい黄色か、という話だった (黄色い花について話していたが、あいにくコンクリートジャングル育ちの私は植物の名前をそもそもあまり知らない、ので認識できなかった…)。その後はリスナーから電話相談を受け付けていたのだが、これがまたほとんどが裏庭の植物・木についての質問で、それだけで30分は使っていたと思う。だけで、と思ってしまうあたりがまぁ馴染みきれないワタシなのだが、このラジオが、村上春樹が全米横断の旅について書いていた文章となんだか重なったのだ。

マサチューセッツ州ボストンからカリフォルニア州ロサンゼルスまで95年に横断した旅について書いていたのだが、ミシガン州デトロイトからオハイオ、インディアナを抜けイリノイ州シカゴへ、そしてウィスコンシン、ミネソタへと抜けていく中西部辺りの記述が今読むとかなり笑える。

「はっきり言ってしまえば退屈きわまりない旅である」
「旅がようやくカラフルになり始めたのはシカゴを通り抜けて、ウィスコンシン州に入ってからである」…「ラジオから流れる音楽の種類がガラリと変わってくる」
「テレビの朝のニュースをつけると」…「今日の家畜の値段を延々と聞かされる羽目になる」
「ボストンからアイオワにやって来ることは、正直な話、東京からボストンにやって来るより遥かに大きなカルチャーショックを僕にもたらしたような気がする。こんなところで毎日毎日牛を見て、カントリー・ミュージックを聴くという生活を送っていたら、何もフランチェスカさんじゃなくたって、そりゃ人生にいくぶん飽いちゃうかもしれないと思う」

「辺境・近況」(村上春樹 1998)

わかる。シカゴ、ミネアポリス辺りまでの4-5時間ドライブの経験ならあるが、「退屈きわまりない」。なにせ同じようなとうもろこし畑と永遠に真っ直ぐなfreewayしかない。おまけにとうもろこし畑は恐ろしく幾何学的に整列して植えられているから、変わり映えがしない景色は狂気的な繰り返しの景色で、時間が金太郎飴というのは実に上手い表現だなと思った。

以前カリフォルニアでLAからサンディエゴまでドライブした時には (当時は随分長いドライブだと思ったけれど、アメリカに住んで1年が経過した今となっては120マイルなんて「ちょっとそこまでドライブ」だなと思うようになったから、感覚の変化というのは恐ろしい)、山並みや海、砂漠の変化が実に楽しいドライブだったと記憶しているので、それと比べてしまうとウーンな感じである。
で、まぁ家畜ではなくて植物だったかもしれないが、ラジオの内容は多分、彼らが旅した30年前と大して変わっていないんだろう。

村上はトラクター帽を被った人やブラックを全く見かけない人種分布についても言及していたけれど、それは今も同じだ。トラクター帽は多分ジョンディアの緑のキャップのことだろうし、アイオワ州は今も圧倒的ホワイト州だ。
イリノイ州との州境・ミシシッピ川沿いのダベンポートという街でドイツ移民のミュージアムを訪れて知ったのだが、アイオワ州はミシシッピ川を船でそのまま遡って上陸してきたドイツ移民が大変多い土地らしい。(そのミュージアムは上陸してきたドイツ移民が陸路で移動する前に船の長旅から体力を回復させる宿だったらしい。)
アイオワシティから1時間ほどのところに、アマナコロニーというアーミッシュ「っぽい」村があるのだが、そこもドイツ系移民の村だ。っぽいというのは、確かに伝統的な暮らし「風」ではあるのだが普通に電気は通ってるし車もあるしで、観光地化されている印象が拭えないのだ。まぁ村を歩いている時にすれ違った住民のカップルは伝統衣装を着ていたので、現代文明社会から一定の距離はそれでも置きたがっているようには見えた。
で、そこで確か手作りの家具屋の店に行った時だったと思うのだが、子供連れの白人家族に出会った。その子供に、初めて何かを見る、かのような目で凝視された、と思う。それで「?」となり見つめ返したところ、母親は関わらないの、とたしなめる感じで、そさくさと子供の手を引きながら店を出て行った。これが東京なら別に気にしなかったと思うのだが、アイオワで、すれ違い様に目を合わせて微笑みながら「Hi!」というような地で起きたことだから、どこか引っかかったのだと思う。
まぁ、大学があって普段住んでいるアイオワシティは、私のような海外から来ている留学生も一定いるので全くこういう感じではないのだが、一歩外に出ればトウモロコシ畑の中に「TRUMP」とか書いてある看板を簡単に見つけられるのがアイオワである。

そんな土地なのに、1年経ってそれなりに「住んでる」感覚ができたらしい。学期が始まり、街中ではスーパーの紙袋を抱えて歩道を歩く新しいinternational studentの姿を多く見かけるようになった (車を買ったり、或いは車持ちの友人ができたり、ネットスーパーを活用するようになると、誰も歩いて買い物には行かなくなる)。コストコでもなぜだか突然韓国語がよく聞こえるようになった。そして、それらの新入生に「いらっしゃい」と思っている自分を発見して、苦笑してしまった。

***

紀行文学を思い出したことで、今度の長期休みはどこに行こう、とネタが欲しくなり、冬なら寒いから南下はどうだろうと、アイオワ川が合流するミシシッピ川沿いの南下ルートを地図で眺めてみた。ミズーリ州のセントルイス、テネシー州のメンフィス、ミシシッピ州のジャクソン、そしてルイジアナ州のニューオーリンズ、というルートが思い浮かんだ。
セントルイスは友達がいるし、ニューオーリンズのフレンチカルチャーのミックスも気になる。でもセントルイスもメンフィスも、どうやら治安が全米でも指折りの下から順らしく、ちょっと中々勇気が出ない。うちの学部の人でセントルイスにこの間の日食を見に行った人はいて普通に観光したとは言っていたので、やってできないことはもちろんないんだろう。ただ何せ現地民とまだ二年目の私とでは、安全管理のスキルが違う。まぁいつかは南部の方のロードトリップも行ってみたい。
現実的なのはまたミネアポリスとかだろうか。今度行く時までには何か舞台になっている紀行文学なり小説なりを読んでおきたい。

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