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「なぜやっているのか分からない」
どうも、スズキ🐟です。
また久しぶりの投稿ですが
今回は人生においても物凄く大切なことで
「なぜやっているのか分からない」
という現象に陥ることについてお話をしていきます。
僕は、個人でビジネスを始めて4年目に入りますが
ビジネスを最初にしようと思った理由は
「好き勝手自由に生きたい」でした。
他には「金持ちになりたい」「自由になりたい」
「好きなところに行きたい」「ほしいものを手に入れたい」
始まりの動機はそれぞれで
この動機が時間が経ち、経験を重ねていくうちに「分からなくなる」。
そんな経験がある、もしくはこれからみなさんにも来るかと思います。
まず、「分からなくなる」理由は様々あると思いますが
冒頭でもお伝えした
僕がビジネスを最初にしようと思った理由は「好き勝手自由に生きたい」で
そうしてビジネスをはじめていき、
多くのことに触れていくうちに
出来ること、出来ないことが目に見えて分かるようになり
関わる人や環境によって大きく自分の考え方が変わっていることに気づき
その瞬間、自分が何をしたかったのか
「分からなくなった」時が何度かあります。
でも、その時にやっていることはやりたいことでもあるし、でも当初の理由とは違うから困惑している自分がいました。
そんな時、撮影の活動をしている際に起きた出来事の話からですが
その頃の僕は撮影活動について
「自由に自分を表現したい」
という漠然とした思いで活動していました。
今ではとあるモチーフを基に撮影をしてもらうのですが
ビジネス活動との同時期に迷いが重なり
「なぜやっているのだろうか」
「やる理由がわからなくなってきた」
となり、撮影がうまく出来なくなって去年は約1年ほど休ませてもらってたんです。
今ではこの迷いが解決できて
活動を再開しています。
では、改めて「なぜやっているのか」わからなくなる理由についてお話しします。
まずは想像をしていただきたいのですが
あなたはカメラマンで、賞を取るために
いつもシャッターチャンスを探してカメラを持ち歩いています。
①今、目の前でパートナーがものすごい笑顔でいる姿があったとしたら写真を撮りませんか?
②反対に無表情のパートナーがいていつもと変わりなかったら、あまり写真は撮らないですよね?
この①と②ですが
なぜ写真を撮る、撮らないに分かれたかというと
①は「笑顔の写真」に魅力があり、
誰が見ても気持ちが良く、思い出になる。
そういった「理由」(意図)があるから撮るんです。
②に関しては「無表情の写真」に大抵の人は
思い出になる撮る「理由」(意図)がないから撮らないんです。
しかし、②にとって「無表情の写真」に
「悲哀」「孤独」といった「理由」(意図)をつけるのであれば、作品として撮りたくなりますよね。
つまり、撮影における作品には、
撮り手やモデルなどの想いや考え(意図)が表現されている訳です。
しかし、想いや考え(意図)がない作品は
「賞を取りたい」という(動機)はあるが
「何を撮るのかわからない」という(意図)がないため
良い作品にはならないし、撮ろうともしなくなるんです。
ここで伝えたいのは良いものの撮り方、
悪いものの撮り方という話ではなく
ビジネスに置き換えるとしても
世の中にとって良いビジネスをするとか、悪いビジネスをするとか(大衆善悪概念的な話はあるが)ではなく
自分は「何を」したいのかを改めて考える話なんです。
話を撮影世界に戻しますが
撮影の世界といってもいろんな世界があります。
①僕のように自由にカメラマンと気の向くまま撮る世界。
②雑誌の表紙や、お店のPR撮影。
③ドラマや映画の大衆向けの撮影。
それぞれの撮影の世界があります。
①の場合は「動機」のみの自己満足の世界であるので好きにやっても大抵は問題ないですよね。
だから先に説明した無表情の撮影でも撮ること自体意味がなくても問題はないし、自己満足で済ませられるんです。
ただ、②と③の世界になると、受け手が自分達だけではなくなり、
世間大衆になりますので、世間一般基順や評価を設けらるようになります。
これらは
①こそ芸術やアートと言われる個人的な世界
②③は記号や規則といった大衆的な世界
に分離されるんです。
基本的には自分たちの満足のいく内容で(自己満足)やるのであれば
何をしていようが、自分や一部に刺されば問題はないわけですが
ビジネスや、それこそ撮影活動を広く世間に広めていくとなると
「大衆」が「何を」したいのか分かるものにして、
大衆が理解できる、大衆に刺さるものにしないといけなくなるんです。
だからそこに
今まで
「自分」で「自由勝手」にやりたいと思っていた最初の思いの所に
大衆という世界に触れて、いろんな考えや価値観を知ってしまい
大衆の価値観や考え方を刷り込まれてしまい(何をしているかの説明を求められる)
自分の思考が混ぜられてしまい「なぜやっているのか」がわからなくなるのです。
ここで「何をやっているのか」
というものが自分の中に明確にある、作り出せれば
「なぜやっているのか」という混沌の自問自答からは簡単に抜け出せます。
まとめると
「なぜやっているのか」わからないという自分に陥った時に
「何をしたいのか」を考えるといいです。
「なぜやっているのか」=動機です。
「何をしたいのか」=意図です。
この話では
撮影における「意図」、撮影における「動機」を例に説明しているので
二つに分かれて分かりやすいですが
「どうしてそれをやっているのか?」という問いかけをされたら
この〜な表現(意図)を良いものにしたい(動機)
で一緒くたにして説明しますよね。
上記は言葉に惑わされがちなので
そのままの説明で聞くとやる理由がありますよねという話になるのですが
あくまで表面上を捉えているので
内部にある
(意図)と(動機)までを理解できていないことが多く、
特に人間は感情を豊かに持つ生き物なので
(動機)にばかり囚われて(意図)を見失い
それ故に「なぜやっているのか」分からなくなるんです。
人間という生き物は言語という高度な知能を持ってしまったが故に、その言語に縛られてしまい、自ら惑わされているんです。
他の国でもいろんな言語がありますが
海外にいってきた僕が気づいたのは
外国語なんて全く喋れない僕が
生きていけた理由として実は、
笑顔とジェスチャーと、少しのその国の単語のみだったので
言葉というものは明確で曖昧で決して正しいものではないんです。
この言葉に縛られない、惑わされないためにも
ある意味で言葉という理解を正しくしていかなければいけないんです。
多くのトップビジネスマンが
芸術(アート)に触れて言語化せよというのは
身近なわかり易い言葉だけに惑わされずに、
芸術(アート)の中から難しく抽象度の高い「もの」を具体的な「意味を持つ言葉」として落とし込み、正しく物事の本質を理解するために伝えられているんだ。
と僕は理解していますが
こういった事に気づけることがビジネスをする上で大切になりますし
「なんでやっているのか」という抽象的な疑問にも、自ら答えを導き出すことに繋がります。
ということで今回は「なぜやっているのか分からない」
というテーマで綴らせて頂きました。
最後までご覧いただきありがとうございました!