ケネス・ブラナーは原作とは異なるポアロ映画をなぜ作るのか(憶測です)
ケネス・ブラナー監督・製作・主演の映画『ナイル殺人事件』が、2022年2月25日(金)から公開されます。
アガサ・クリスティが作り出した世界的名探偵エルキュール・ポアロが活躍する小説「ナイルに死す」が原作です。まずは、予告編をご覧ください。
『ナイル殺人事件』(2022)予告編
原作のキャラクターとは異なるケネス版ポアロ
原作を読んだことがあれば一目瞭然ですが、予告編に登場するケネス版ポアロと、クリスティの小説に登場するポアロはイメージがまったく異なります。
原作のエルキュール・ポアロという人物は、小太りで、紳士的な気取り屋さん。もっと言うと、5フィート4インチ(約160cm)にも満たない身長で、頭は卵の形、口ひげに異常な愛着を持ち、エナメルの靴を履き、ちょこちょこ歩く…….という特徴豊かな人物です。
この予告編に登場するような、スタイリッシュなおじさまタイプの人物ではありません。
クリスティが作った私立探偵ポアロというキャラクターは、とても魅力的なので、過去にもドラマや映画として映像化されてきており、さまざまなタイプの俳優が演じています。
そのなかでも、原作のポアロに忠実と言われているのが、デヴィッド・スーシェがポアロを演じたドラマ版『名探偵ポワロ』(1989-2013)です。
この写真をみるだけでも、ケネス版ポアロとは、明らかに容貌が違います。
実は、ケネス・ブラナーがポアロを演じるのは、今回が2度めで、初登場したのは、『オリエント急行殺人事件』(2017)でした。
これを見たときには、原作ファンとして、ポアロのキャラクターの変化に戸惑いました。正直に言うと、「こんなのポアロじゃない」とすら思いました。
エルキュール・ポアロという探偵は、作者のクリスティにとっても、クリスティファンにとっても大切な存在なのです。
わたしの場合、ポアロの登場する原作小説を、ほぼすべて読破していて、デヴィッド・スーシェ版のポワロは、全70話を少なくとも3周は鑑賞しているので、ポアロという人物に愛情すら感じています。
なので、愛するポアロが、勝手に「イケオジ」にされてしまい、なんとも複雑な心境でした。
なぜなら、「イケてるオヤジ」ではないところがポアロの最大の魅力だからです。
原作のポアロは、ちっともイケてないオヤジで、「なにあの変な人」と、貴族階級から嫌な顔をされてしまうような個性的な人物なのですが、彼は誰よりも紳士的で、犯罪を憎んでいます。
被害者を救済するために犯人を必ず見つけ出すという執念で、最後にはズバッと事件を解決するところが最高に痛快です。
「優秀な探偵です」と自分で自分を褒めたたえてしまうところも、「高圧的な態度だな」とは思いません。「うぬぼれてて、かわいい♡」という気持ちにさせてくれるのが、ポアロの魅力です。
ところが、ケネス・ブラナー版ポアロが自分のことを「世界でもっとも優秀な探偵です」というと、「へぇ、そうなんですか」と、納得してしまうのが不思議ですね。いかにも優秀そうですもん。
このような違いが、原作のポアロとケネス・ブラナー版のポアロには発生しています。
そこで、わたしは疑問に思いました。
ケネス・ブラナーは、なぜ原作と違うポアロ映画を作っているのでしょうか。
古典を愛するケネス・ブラナーがクリスティに挑戦
ケネス・ブラナーは、英国演劇界の重鎮であり、ロイヤル・シェイクスピア・シアター出身という肩書からも、「絶対に古典をないがしろにはしない」と個人的には信じています。
だからこそ、ポアロを映画化するにあたり、「なぜ原作のイメージとは違うポアロにしてきたのだろう?」という疑問がわきました。
一人でいろいろ考えた結果、ケネスは、スタイリッシュ版のポアロをシリーズ化しようとしているという結論に至りました。
なぜスタイリッシュにするのかには、2つの理由があります。
1つ目は、原作に忠実な完璧な実写版は、すでにディヴィッド・スーシェ版が存在するので、新たに制作する意義が少ないこと。
2つ目は、スタイリッシュに映像化することで、物語の面白さを広範囲の人たちに伝え、クリスティの原作を知らない世代の人たちに鑑賞してもらおうとしているのではないか?ということです。
実際に、こんな出来事がありました。
アガサ・クリスティファンのわたしが、「こんなのポアロじゃない」とすら感じた『オリエント急行殺人事件』(2017)を見て、そのおもしろさにハマった人がいます。
今年12歳になる姪が、「おもしろい!」と映画にハマり、それだけでは終わらずに、クリスティの原作を読み始めたのです。
原作を知らない姪にとっては、ポアロのキャラクターが違うことは知るよしもなく、なによりも、ストーリーの面白さにハマったわけです。
ケネス版のポアロは、クリスティの原作を知らない人々や、新世代の人たちに、ストーリーの面白さを気づかせる役割を担っているのではないでしょうか。
根本のアガサ・クリスティの物語の面白さは、永遠に変わりません。
その永遠性を広範囲に広めていくために、既存のファンにアピールするのではなく、新世代の新たなファンを獲得しようという意図があるのかもしれません。
ポアロがはじめて登場する小説「スタイルズ荘の怪事件」が発表されたのは1920年。100年の時が経ち、今ではまったくポアロのことを知らないという人たちも増えてきました。
映画でストーリーの面白さに気づかせて、小説に戻ってもらう。
こうすれば、原作小説は世代を超えて読み続けられていく。
100年前の人達と、現代人では関心事も変化しているので、新たな解釈や表現方法で、新世代の人たちの関心をひき、ファンになってもらう。
こういう活動も、エンターテイメントの世界では重要なんですよね。
古典で育ってきた俳優、ケネス・ブラナーだからこそ、古典に戻ってもらうために、あえてスタイリシュなポアロにしたんじゃないか。
そんな憶測をしました。
明日公開される、ケネス版ポアロ第2段『ナイル殺人事件』ですが、わたしとしては鑑賞するのはちょっと怖いのが本音です。
でも、映画を見ることで、姪とポアロ談義ができるとしたら!
そんな素晴らしい体験の可能性を得るために、姪と一緒に映画館に行ってみたいと思っています。
※小説とドラマでポアロとポワロの表記が違うのですが、今回の映画はポアロ表記だったので映画の部分はポアロに統一しました。