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『反響する自我』#青ブラ文学部

ドライヤーを乾かす手がふと止まる。
『またか』
ごっそり抜け落ちた髪の毛に落胆するのは、これが初めてではない。

うなじを確認しようと、鏡台に背中を向け、手鏡で後ろ姿を確認した時、
合わせ鏡になってることに気づいた。

映し出された数人の自分と目が合う。
不思議な空間に、少しだけ眩暈がする。

どれくらい見つめていたかわからない。
静寂が部屋を包み込む中、ふと立ち上がり、もう一度合わせ鏡を覗いた。

合わせ鏡の中で見る自分は、一見同じに見えても、実はそれぞれ微妙に異なるように思える。それはまるで、私の心が抱える無数の顔、表に出ることのない葛藤や悲しみ、喜びや希望を映し出しているかのよう。
この無限に続く自分の中に、私は何を見ているのだろうか。
幾重にも重なる自分に、何を求めているのだろうか。自分という存在は、果たして他者にどのように映っているのだろうか。

他人の目を通して見る自分自身と、鏡に映る自分は、どこまでが本当の自分なのだろう。合わせ鏡の中で見る無限の自分は、私が抱える孤独や不安、さまざまな感情の深層を映し出しているように思えて仕方がない。

その瞬間、鏡に映る無数の自分が、ほんのわずかに首を傾げたように見えた。まるで、彼女たちもまた、この静寂の中で自分自身との対話を求めているかのように。

深く深呼吸をすると、部屋の空気が微かに揺れた。
鏡の中の自分たちも、同じ動作をする。この繰り返しの中で、私は気づく。鏡の中の自分も、私が築き上げてきた自己像の反映に過ぎない。
そう、私たちは常に自分自身を再構築し、自分の中の無数の『私』を形作っているのだ。

私は鏡の前から離れ、再びドライヤーを手に取る。
ドライヤーの風は、今はもう落ち着きを取り戻していた。合わせ鏡の中の無限の『私』も、髪を乾かす私の動作を静かに見守る。この時、私は理解した。私たちの心は合わせ鏡のようなもので、無数の『私』が重なり合いながら、一人の『私』を形成している。

それぞれの『私』は、違う感情や思考、記憶を持ちながらも、最終的には一つの人格として統合される。

髪を乾かしながら、私は自分自身に約束する。自分の内面に潜むさまざまな『私』を受け入れ、それぞれの声に耳を傾けながら、自分らしい人生を歩んでいくと。孤独や不安、さまざまな感情の深層が合わせ鏡に映し出されることを恐れず、それらすべてを自分の一部として受け入れる勇気を持つと。

ドライヤーの音が止み、部屋は再び静寂に包まれる。私は鏡を見る。そこには、今の私がいる。無数の『私』が作り出す一人の『私』。これからも、自分の中の多様な『私』を大切にしていきたい。そして、そのすべてが、本当の自分なのだと感じられるようになりたい。


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