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しゃーない力で全肯定したいだけだった

神戸市高齢者介護士講習会を経ての認定試験が終わりました。5科目につき各60分の長丁場!

 テストが終わったら食べようとBREADMANのカヌレ持参で、試験会場の近くの公園でひとり祝賀会してからベンチに寝転んで空を見ていた。

ベンチで寝転んでたら靴下に穴が開いてるのに気づいた

この講習と認定試験は、神戸市内で同じ事業所に3年以上5年未満勤続している高齢者ケアワーカーが対象で、試験に合格したら介護福祉士国家試験取得支援金として月額10,000円が神戸市から交付されるという制度。私はちょうどその対象にピッタリ合うので申し込んだ。

介護の仕事に就いてしばらくしたら、みんな介護福祉士の国家資格を受けるのが当然みたいな雰囲気があったけど、私はそれに納得できなかった。

この仕事をやってみたとしても自分に合っているかわからない。合理的になれないし動作は遅い。小さなことが気になり傷ついたり悲しくなるような私は生産的に仕事ができない。相手の意向や意思をまず確認して、なるべくその人が望む形を考えたり納得してもらうように働きかけたり、待ったり、要望に応えると時間がかかる。それは介護の仕事をする上で無駄だと思われるような場面に遭遇することがある。そこを飲み込んでまで、やりたいとは思えないから。頑固な私は「こういうもんだよ」に染まりたくないのだ。

だからといって、周りのスタッフが悪い訳ではなくて、フルタイムでやるべき仕事を時間内に安全に終えるには、何を優先してどう動くか? 自分や他のスタッフに負担をかけ過ぎずに、ひとりの人にかかりきりにならずに動かないといけないから仕方ないとも思う。しかし「私はそれがしたいか?」って言うと、やりたくない。だからフルタイムでは働けないし、介護福祉士も取ろうとは思わなかった。

だけど「毎月1万円もらえるなら、介護福祉士の国家資格を取得する為の実務者研修の費用に充てたりできるし、資格取ったら短時間でも給料が少し上がるかなと思うようになった。で、受けることに。邪やけど。


講座を受けてみたら、とてもよかった。

神戸市が今後どんな人材を育てようとしてるのかわかった。その人材が私が思っているやり方に近くて、それが嬉しかった。受容と共感を持って対応し、相手の意思や意向を尊重できることを大切にしていた。講座を受けた時にその話しが聞けたことで勉強する気になった。その他にも医療的なことや人間の身体や脳の仕組みを学ぶのも面白くて興味が湧いた。

テスト用のノート
改めて知ることがたくさん

7月から始まって、その間にライブに行ったり、流しBARも4回やって、自分の楽しみも大事にしながら勉強できた。

試験を受ける時には、内容がよかったから、もうテストに合格してもしなくても、どっちでもよくなった。そうして受けたテストは思ったより良い解答ができた。テストは◯✖️、用語や数字の穴埋めの他、3つのキーワードを使った小論文がある。この小論文が我ながら5科目ともよく書けたと思ってる。キーワードを理解してないと文章が書けないし、記録を書く際に誰が読んでもわかる文章力で書けるかが試される問題だったから。

認定試験に合格したら、次は国家試験。私は介護福祉士になるのかな。「そんなにやりたい?」と自分に問うた時に、「介護福祉士になりたいんじゃなくて、私はどんな人の人生も肯定して、残された時間を少しでも楽しく過ごしてよかったと思いたい」だけな気がした。

テキストで1番共感したところ
私はこうありたい

最近やたらと入浴介助でうんこが出てる人や途中でうんこしてしまう人に当たっり、パット交換する際も何故かうんこ出てる時によく当たる。それを汚いとか嫌だとかは思ってなくて、しゃーないと思ってる。どんどん自分の中の「しゃーない力」が上がり、いろいろどうでもよくなるというか、思った通りにいかないこともだいたいは「しゃーない」で許せるようになった。それ、めっちゃいいなと思ってて。

人の中にある汚いと思われやすい部分も、負の部分も、「しゃーない!」と受け止めて肯定できる人間力を上げて、少しでも楽しい時間を過ごすお手伝いができたらいいなくらいのままやっていこうと思う。

まずは自分の人生を楽しんで大切にしながら。

テストの帰り道の空。ビルの隙間の空も、またいい

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よしだみねこ
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