チャンネルを合わせる
去年の11 月に介護作文・フォトコンテストという公募があって、密かに応募した。
未公開作品である事が条件だったのでこっそり温めていたのだけど、審査発表があり自分は入選しなかった事が分かり、この公募作品の事を書きたいと思う。
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「チャンネルを合わせる」 吉田峰子
私が介護の仕事を始めてから、ずっと大切にしていることがあります。それは、(チャンネルを合わせる)ということです。
介護とは全く関係ない分野で働いてきた私は、初めて接する認知症の利用者さんに戸惑っていました。介護度5のレビー小体認知症のYさんは話が全く噛み合いません。「おはようございます」と声をかけても独り言を言っていて目線も合いません。それはそれで良いのだけど、体操のお部屋からお食事のお部屋へ移動する時、話が全く通じないのでとても困ってしまいました。
「Yさんご飯を食べに行きましょうか」「Yさんご飯の時間なのでそろそろ行きましょう」大きな声で伝えても、優しめの口調で伝えても、Yさんの視点は合わず、全く聞こえていないようでどうしたらいいのか悩んで疲れてしまう。やっぱり介護は向いてないのかな?と思いながら入社初日から色々教えて下さった先輩にYさんのことを相談してみました。
「これは私の場合だし、感覚的なことだから伝わらないかもしれないけど、何か"チャンネルを合わせる"感じ。ラジオの周波数を合わせる感じで、その人のチャンネルを探るんよ。Yさんだったら私はぽわ〜んとお花畑にいるような感じで、その感覚のまま声をかけるの。認知症の方は言葉が通じなくても、こっちがどんな気持ちで話してるかを敏感に感じとるみたいで、焦って動かそうとしたら余計に動いてくれない気がするよ」
分かるような分からないような。何となく感覚は分かったので、とにかく一度試してみようと思いました。
翌日、全体の体操が終わった後にお水を配っていたら、Yさんはコップを受け取って私にこう言いました。「これはどこに入れるんや!?」
これはどう答えたら…と思った次の瞬間に先輩の言葉を思い出し、Yさんを思ってぽわ〜んとしたらハッと思いついて「Yさん、それは口に入れるんですよ」と伝えたら、何とYさんはコップの水を飲んでくれました。
(チャンネルを合わせる)を意識してからまるで嘘みたいにYさんと行動できるようになり、私はYさんを大好きになりました。
認知症のYさんと通じ合えるようになって、私はやっと義務感ややらなきゃいけないからという気持ちで声をかけていた事に気づきました。もちろん慣れてなかったという部分もありましたが、その時介護に大切なのは技術より、まず気持ちなんだと思い知りました。
今は先輩のいる職場と変わりましたが、最初に入った介護現場で大切なことを教われて本当によかったと思っています。
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応募締め切り日が過ぎてから、この作文のコピーをこっそり先輩に送った。先輩と言っても私より歳下なんだけど。
それから何日か経って、先輩から連絡があり、作文よかった!という話と、そ・し・て!という前置きがあり、何と私の作文がYさんの誕生日の日に届いたというのだ!!
ビックリした。そんなことあるのか!!と思った。
職場が変わってすっかり会っていないし、私のことを覚えていないと思うのだけど、先輩とYさんを思って書いた作文がYさんのお誕生日に届くなんて。
一度合わせたチャンネルは、つながっていたんだなぁ。そう思うと、すごく嬉しくて、Yさんのことを色々思い出した。
エレベーターの中で私の肩や背中を撫でながら「かわいそうにー」と言ってたのに、腰回りに触れた時に急に声が低い素の声になって「…肥えてる!…」と言って無言になったこととか。
視線が合わないYさんと視線を合わせたくて、「Yさん!」って言いながら必死に視線を合わせようとして、やっと視線があった時に、突然「あんた、ホンマにブッサイクやなぁ!」と言われたこととか。
それまでよくわからない独り言を言ってたのに、突然私の名札を見て、ハッキリと「吉田」と言ったこととか。
たまたま目が合った時に突然「あんたは男か女か、どっちや!?」と聞かれて「女です!」と答えると、もう自分の世界に入って知らんぷりされたこととか。
Yさんとの関わりは笑いに満ちて楽しくてよく笑った。
私のことは覚えてなくても、こんな風にチャンネルを合わせて一緒に大笑いしたことは、きっとどこかで感じとって、記憶じゃなくても細胞で覚えているんじゃないかな。
仕事の場でなくても、このチャンネル合わせは、いろんな場面でしていきたい。
賞は取れなくても、先輩やYさんにはしっかり届いた。届けたい人に届けられることが私の幸せなんだと改めて感じる出来事。
最後に入賞できなかったことを告げた先輩に言われたひとことを。
私にとっては
あんたが大賞!
あんたが大将!
海援隊かっ!!