「本当は」を迎えにいこう
上手く書けるかわからないのだけど、どうもコレは私だけが感じていることじゃ無さそうなので書いてみたい。
今まで、たくさん我慢してきた。
子どもの頃、私は身体が大きかった。特に幼稚園の頃はバカデカかった。当時、徒競走で真剣に走ったら「あなたは身体が大きいんだから本気で走ったら1番になるに決まってる。小さい子たちの為に手加減してあげなさい」と先生に言われた。
10代の頃、「デブ」とか「ブス」と言われて嫌で、「私はデブでもないしブスじゃない!」と怒ったら「事実を言ったまでなのに怒るお前がおかしい。そんなんだからお前はダメなんだよ!」と笑いながら貶されて怒るのを諦めた。
文字にしたら「こんなこと?」って思う数々の本当は嫌だったこと、我慢してしまったこと。
「あなたを思って」とか「間違いを正す」という体の言葉。本当に私を思って…という忠告もあるけれど、中には気に入らなかったことを「あなたが悪い」という思いを乗せてぶつけられて、嫌だけど相手の気が済むなら…と受け入れてしまったこと。
本当は嫌だった。でも、そんなことを言うのは大人気ないし、相手の考えや立場があるし…と飲み込んで、ずっとモヤモヤを抱えてしまったこと。
本当は嫌だけど、あの人が安心するから、あの人が喜ぶからと引っ込めた自分の気持ち。
本当は…。本当は…。本当は…。
自分以外の誰かを尊重して、どんどん遠くなっていった本当のこと。
我慢し過ぎて突然怒りが爆発して、「それならその時言えばいいのに!」と言われても、人に譲ることに慣れすぎて咄嗟に本当に感じたことが出てこない自分になっていた。
「のびのびと素直に育った人はいいなぁ」と羨んで、この世は不公平だと嘆いたりして。
そんなことをずっとしてきた。
「いつまでそんなこと言ってるんだよ」「いい大人のくせに。恥ずかしい」「何歳だと思ってるの?」「みんなもっと大きなことで悩んでるよ」そんな言葉たちを人からも自分からも言われて、すっかり心を閉ざしてしまった私の本当の声。今さらかも知れないけど、その声を聞きたいと思う。
「本当は」を迎えにいこう。
あなたの本当を教えて。
本当に感じたことを仕舞い込まずに聴かせてほしい。
私にだけは話してほしい。
どんな小さなことでもいいから話してみて。
どんなことでも笑ったりバカにしたりしないよ。
その本当を叶える為に力になるから。
私にできることはするから。
その本当を引っ込めないで叶えていこうよ。
本当を素直に出していこう。
本当は、誰かにそう言ってほしかった。でも、それは自分がやらないといけないことに気づいた。
そう思って、小さなチャレンジをしてる。今までなら本当は嫌だけど…相手の気が済むなら…と我慢して飲み込んでしまうことをしない。心地悪いことはしない。
「本当は…」と感じたことをそのまま伝えるとトラブルになるかも知れないし、相手を怒らせるかも知れない。人が離れていくかも知れないし、嫌われるかも知れない。
でも、そうやってきた末に、私が私を嫌ってしまった。誰よりもずっと一緒にいる自分の信用を無くしてしまった。それは本当はすごく悲しいことだった。我慢って誰の為のものなんだろう。
だけど今、たぶん私だけじゃなく、何だか多くの人がそう感じて、そのやり方を変えようとしてる。人がどうであろうと、まず自分の中に芽生えた本当を大切にする。すぐにできなくても、後からでも「本当は…」と感じたことを尊重していく。
ひとりひとりの「本当は…」がもっと自由になったら、人も世界も彩り豊かな喜びに溢れていく。
そんなことを強く信じて、体現できる私でありたい。「こんな小さなこと」「くだらないこと」って思わずに、むしろそんな小さな本当こそを大切にしていこう。
「本当は」を迎えにいこう。