見出し画像

昔の私が欲しかったものを手渡して

職場の高齢者施設で利用者さんが転倒して眉間あたりを切ってしまい、救急車で運ばれて3針縫う出来事があった。

私は現場に駆けつけた最初のひとりで転倒してる位置からいろいろ推測しつつ、バイタルを測り医務室へ連絡した。転倒した当初は顔が少し赤くなっていた程度だったが、病院で傷口を縫ってからかなり顔が腫れた。とても女性らしい方で自分の外見も気にされている方だからお辛いだろうなと思いつつ、腫れ上がった顔を見て、私自身のことを思った。

私は小学2年生の頃に交通事故に遭った。当時流行っていた「青信号ダッシュ」(青信号になってから誰が1番速く横断歩道を渡れるかダッシュする)で駆け出して、軽トラに轢かれて鼻を9針左足の内太腿を3針縫っている。私の記憶は青信号になったところで途切れていて痛みや衝撃は何も感じておらず、気がついたらたくさんの大人に囲まれて大きな声で「大丈夫か!」と言われて驚いて泣いた。

小学2年の夏休み。交通事故前の私

軽トラに轢かれて吹っ飛び、ランドセルがクッションになって頭部は無事だったらしいが、衝撃でしばらく気を失っていたらしい。ちなみに傷口から鼻の骨が見えてたそうだ。そんななかなか大変な事故だったにも関わらず、私は暢気だった。

救急車で運ばれて地元の総合病院で傷を縫う手術を行った。TVで見た内臓系手術のドキュメンタリーが怖かった印象が強く、「手術は嫌だー!」と泣き叫びながら傷口を縫われた記憶がある。手術が終わって手術室を出ると(歩いてた記憶ある)、家族が待っていて、何とも言えない顔をしながら私の名前を呼んだ。

そして、とにかくめっちゃ顔が腫れた。母も祖母も「女の子なのに…」と暗い顔をしてるので、私は笑わせたくてティッシュを三角に折り、「お岩さんだぞー!」「お化けだぞー!」と言って、母や祖母や看護師さんに見せていた。いつも仕事で居ない母がそばに居てくれることが嬉しくて、学校も好きではなかったこともあり、むしろ充実した入院生活を送っていた。2週間の入院と1ヶ月の自宅療養を経て小学校に復帰したのは運動会直前だった。

復帰した時は同級生が「大丈夫?」と言って声をかけてくれたが、本当に心配してるのか、傷を見たいのかわからなかった。というのも、まったく知らない上級者の男子が話しかけて来て「お前か、交通事故に遭った奴は。傷見せろ」と何の遠慮もなく顔をジロジロ見に来たからだ。私はあんまり容姿を気にしてなかったし、女らしさが欠けるタイプではあったが、アレは本当に嫌だった。

交通事故後の運動会

後々聞いたが、目の前で私が軽トラに轢かれるのを目の当たりにした同級生はかなりのショックを受けていたそうだ。それはそうだろう。本人は記憶も痛みも覚えてないけど、目の前で同級生が軽トラに轢かれて吹き飛ぶ姿を目撃するのはきつい。母も手術を終えて出てきた時の顔の腫れの酷さに気を失いそうになったと言っていた。

利用者さんの腫れた顔を見てその当時のことを思い出し、無遠慮にジロジロ見たりしないことはもちろん、何がご本人にとって安らぐかなぁと想いを巡らせた。私みたいに無頓着に「お岩さんだぞー!」とかやるタイプではないし、女性らしい方だから、どんな言葉が安らぐのかなぁ…と考えた挙げ句、いつもと変わらない接し方がいいなと思った。

腫れた顔を見て気の毒そうな顔もせず、「気の毒でしたね」みたいな声かけもせず、何も変わらず接する。腫れが引いてきたら、その変化を喜ぶ。自分がして欲しかったことを誰かに手渡すことで当時の私も救われる気がした。

どんな自分でも、どんな自分になっても、変わらずに受け止めてほしいのが人の願いだと思うから。

この記事が参加している募集

サポートほしいです!  よろしくお願いします! お金をもらう為に書いている訳じゃないし、私の好きや感動に忠実に文章を書いていますが、やっぱりサポートしてもらえると嬉しいし、文章を書く励みになります。 もっと喜んで文章や歌にエネルギーを注いでいけますように。