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私を連れていって
「私をここじゃないどこかへ連れていってほしい」
若い頃、よくそんなことを思っていた。10代の私は誰にも甘えることも頼ることもできず、自分の気持ちを人に言えず、私を本当にわかってくれる人などいないんじゃないかと心細い気持ちでいた。早く消えて居なくなりたい。昼休みにひとりで学校の屋上に上がって、「このまま風に吹かれて居なくなりたい。私が居なくなっても、きっと何も変わらない。私をここじゃないどこかに連れていってほしい」と願っていた。
何でそんなことを思い出したのかというと、昨日友人がSNSに投稿していた中村祐子さんのこの演奏を聴いたからだ。
ヘンデルの「ラルゴ」を明治39年製の足踏みオルガンで演奏している。その音色を聴いていたら、何やら込み上げるものがあり、自然と静かに涙が溢れた。そして解説を見ると【リードオルガンリサイタル「私を連れていって3」】というタイトルが書かれているのを見て「あぁ!わかる! あー!!!」と叫びたくなった。だって私はずっと「ここじゃないどこかへ連れていってほしい」と願いながら音楽を聴いていたから。
私にとって音楽は、日常を忘れて私の魂をここじゃないどこかへ連れていってくれる魔法の絨毯のようなものだった。その感覚を思い出していたら、ふと、もしかしたら、私は音楽で誰かを連れていく側に立っているのかも知れないと思った。というのも昨日、こんなことがあったから。
ふだんは入居型介護施設のケアハウスで働いている私だが、たまにデイサービスに手伝いに行く時がある。デイサービスは自宅にお住まいの方々がひとりではできない入浴サービスを受けたり、バランスのいい食事を食べたり、脳トレや体操をしたりしながら健康状態に見合った活動をしていただくような場所。基本的に元気な方が多い。
以前、高槻市で高齢者向けに歌う仕事をいただいた際、「リハーサルを兼ねて同年代の皆さんの反応が見たいから」とデイサービスで歌わせていただいてから、たまにギターを弾いて歌いに行っている。
この日はお誕生日のお祝いをする時間があり、ギターの伴奏でハッピーバースデーの歌をみんなで歌った後、お誕生日の方が前にリクエストしてくれた歌をプレゼントした。「東京ブギウギ」と「蘇州夜曲」を。
その方は歌を聴きながら涙ぐまれ、歌を聴いて思い出したことを話してくれた。
「東京ブギウギは、あの人! 笠置シズ子の歌やね。この後、買い物ブギやら何やら流行って。あー、私が小学生の頃やわ。その頃の歌! 懐かしい! よく聴いたわー。」
「蘇州夜曲はね、若い頃、友だちと淡い恋の話しをしてワイワイ言うてた頃に聴いたり歌ったりしてましたわ。"今宵映したふたりの姿 消えてくれるな いつまでも"って歌詞にありますやろ。ほんまに淡い恋の景色でね。そんな話しをしながら仲良く付き合っていた昔からの友だちの女の子もね、今は施設に入ってしもてね。あぁ、懐かしいわぁ。何や当時のことを思い出しますわ。不思議なもんやね」
そんなことを涙を浮かべながらキラキラした目で話してくださった。
嬉しかった。その体験は、私にとって歌ってきて本当によかったと思える瞬間。何よりも心が満たされる。私は大きなステージでスポットライトを浴びて歌うよりも、きっとこんな個人的な誰かの想いや思い出に寄り添うように歌い、その方の大切な思い出を大切にできることがしあわせなのだと思う。地味かも知れないけど、私はそれがいい。
しかし、よくよく考えると、もしかしたらこれは、地味なしあわせではとどまらないことかも知れない。
もしかしたら私は、「東京ブギウギ」と「蘇州夜曲」を歌うことで、その方の記憶や感情を蘇らせる、ここではないどこかに連れていけていたのかも知れない。
この感覚わかる人はいるだろうか。
伝わるといいな。
ちなみに私が歌を聴いて、この感覚になるミュージシャンは奇妙礼太郎さんだ。
好きな歌はたくさんあるのだけど、動いてるご本人が映っている公式チャンネルのMVで1番グッとくる「アスファルト」を選んでみました。
奇妙さんは声が良い。そして歌が上手い。だけど、ただ声が良いとか歌が上手いだけではとどまらない「何か」がある。上手いだけでは感じられない、この「何か」が、実は表現者にとって1番大切なのではないかと私は思ってる。この「何か」を知りたくて歌を聴き、この「何か」を体験したくてライブに行く。つい先日も京都の冬青庵能舞台での奇妙さんのライブに行って来た。
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「能舞台で奇妙さんなんて!」という期待を裏切らない素晴らしいライブだった。能舞台だからか、いつもなら裸眼で見える距離なのに何故か霞んで見えて慌ててメガネをかけた。ジッと見ていると、何だか舞台から奇妙さんが浮き出ているように見えたり、時間感覚がよくわからない時空が歪んだような感覚になった。不思議な感覚だった。でも、この感じはきっと、能舞台で能を鑑賞する際に感じる感覚と同じなんじゃないかと思った。ひと時、ここではないどこかにある夢を見ているような。ここではないどこかに連れていってくれる音楽や芸術こそ至高。どんな時代も、人は音楽や芸術の中に「ここではないどこかに連れていく夢のような時」を見出していたのかも知れない。
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そして、「ここではないどこか」を体現できる人は、きっと「ここではないどこかに連れていってほしい」と切に願った経験がある人なのではないかと思う。その想いがきっと表現の中で昇華され、継承されていき、自分が欲しかった「何か」を与えられるように変化していくんだ。
活躍の場の大小に限らず、私もその想いを継承して歌えるようになりつつあるのかも知れない。スポットライトを浴びて輝かなくても、誰かの心に響いて、ここじゃないどこかへ連れていけるような歌をうたい、ここじゃないどこかに連れていける文章を書きたい。
その道への一歩を私は踏み出せた気がする。
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去年の9月に神戸で奇妙さんのライブに行った時に感じたり浮かんできた想いのあれこれを書いたnote。
歌や音楽をただ好きなだけでなくて、こんな音楽体験ができる嬉しさを感じてる。
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