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Each Kindness この心の痛みは宝に変わる


前回書いた翻訳記事の続きです。
この本から受け取った、深いメッセージを書き綴りました。

*3/14 追記:本の全文翻訳は、著作権侵害に当たるようなので、
翻訳記事の公開は取り下げました。本の購入をお勧めします。
Each Kindness (英語)
ひとりひとりのやさしさ (日本語)


はじめに / 私のいじめ体験


ここにこれから書くことは、
私がいじめを受けたときに知っていれば、と、つくづく感じた
大人になってから学んだ物事の捉え方、見方、考え方です。

私は小学校5年生から6年生にかけて
いじめに遭い、不登校になりました。

人生で初めて絶望感を味わった、辛い時期でした。

親にも先生にも、
自分の思いのすべてを打ち明けることはできず

そして、少し話してみても、困った顔をされてしまい
余計に話せなくなりました。

自分一人では、この状況にどう対応していいのかわからず
打ちひしがれて、途方に暮れるしかありませんでした。

中学校に入学して
新しい生徒たちと新しい始まりを迎え
いじめられることはなくなりました。

しばらくして、クラスの中で、
ある生徒に対するいじめが起こったとき
私は保身に回ったのです。

その子を助けよう、味方になってあげようとは一切考えず
自分が攻撃の的にならないように
いじめる側の生徒たちと同調して
彼女を避けてしまいました。

自分がいじめを受けて、あんなに辛い思いをしたのに
その経験を活かすことができず
その子に優しさを示すよりも
自分を守ることしか考えられなかった。

今思えば本当に情けなく、恥かしいことをしたと思います。

いじめや、受けた傷にどう対応し、自分をどう扱い、
どういう心で人と接するのか
そういう道徳心を教えてくれる大人が一人でもいてくれたら
正しい方向に心を導いてもらえていたら
もっと良い状況を作り出すことができたでしょう。

学校で受けた道徳の授業は薄っぺらで、
ほとんど記憶に残っていません

だから、この本を読んで
自分がいじめを受けて傷を負ったとき
こんな風に受け止められていたら
こんなことを教わり、導いてもらえていたら
という、私が今まで学ばせてもらって、
心に刻んできた事例を書き綴りたくなったのです。


自分の子供がそんな経験をしたら
しっかり導いてあげたいという気持ちと
子育てに限らず、自分自身も含めて
大人になってからでもこういうことって起こるので
同じような体験をして、痛みを抱えている大人にも届けたい、
と思いました。



縄跳びに込めたマヤの気持ち


どんなに一生懸命友達になろうと努力しても
受け入れてもらえない。避けられ、ばかにされる。

子供は良くも悪くも、自分の思いにストレート、ですよね。
相手の気持ちを思い遣れるキャパが、まだ育っていないからです。

マヤはどれほど悲しく、辛く、寂しく、
そして悔しい思いを味わったことでしょう。

でも、彼女のすごいところは、ふて腐れたり、責めたり、
泣いたり、罵声をあびせたり、悪い態度は一切取らなかったこと。

相手にぶつけたかっただろうその悲しさ、辛さ、
または怒りのエネルギーを昇華させるには、
ただひたすら縄跳びのジャンプをし続けるしかなかった。

ひとつひとつのジャンプの中に、
彼女はどんな思いを感じていたのでしょう。


いちばん神様に近付いているとき


クローイが授業の中で
水の中に石を落として広がる波紋と
親切な行いについて教えられたとき

自分にはどれほど優しさがなかったのか
ということを初めて気付かされました。

そして、自分がマヤに対してしてきた
決して親切ではなかった行為の数々を悔やみ
これからは彼女に優しくするんだ
友達になるんだ、と決心したときには
残念ながら、もうマヤは
学校には戻らない存在になっていました。

その日から次々と
クローイはマヤと自分の間で起こった出来事を反芻しては
今度はこうしよう、ああしよう
彼女がまたこんな風にしてきたらこう返そう

そんな、マヤに示せるはずだった優しさがあふれてきて
でも、それをどんなに今伝えたくても
彼女はもういない。
もう戻ってこない。
これからも、会えるチャンスはどこにもない。

この時クローイも、マヤが仲間はずれにされ続けた苦しみに
近い思いを味わったことでしょう。

どんなにどんなに仲良くしたいと願っても
もう決して叶わない、そのやるせなさを。

でもこれは、決して、悲しく重く終わる物語ではありません。


金繕い

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「金繕い」ってご存知ですか?

欠けたりひび割れたりした器などを、漆で破損部分を接着し
金や銀の金属粉で装飾するという
日本の陶器の修復方法であり、芸術品でもあります。

一度壊れることによって、かえって壊れる前の状態よりも
その陶器を美しく生まれ変わらせます。

日本の芸術って、奥が深いですよね。

マヤも、クローイも悲しみを味わいました。
心が壊れてしまったように感じたかもしれません。

でもこの金繕いのように
壊れたからこそ、より美しさを増すことができる。

壊れた心の痛みを修復して、より美しい心に生まれ変わり
より良い人生が歩めるようになる
素晴らしいチャンスが与えられたのです’。

神は砕かれた心の者と共にいる


こういう時に大切なのが、信仰心です。

別に特定の宗教を信仰していなくても
神様、大いなる宇宙、見えない力、天の法則、何でもいいので
人知を超えたところで働いている力がある
ということを小さいうちに教えておくことは
とても大事なことだと思います。

旧約聖書には、こんな言葉があります。

『わたしは、高く聖なる所に住み
心砕かれて、へりくだった人とともに住む。
へりくだった人の霊を生かし
砕かれた人の心を生かすためである。』

イザヤ書57章15節

これは神様の言葉です。

自分のせいで誰かを傷つけてしまった
迷惑をかけた、もう取り返しがつかない。。。
そういうときこそが、最も神様に近付けるときです。

そういう思いを味わうことが、クローイーのこれからの人生で
とても大事なことだったのです。

なんて自分はできてなかったんだろう、足りなかったんだろう
と、相手の気持ちを思い、自分の至らなさに気付くときこそが
最も謙虚にさせられ
これからは決してそんなことを繰り返さないように
より良い人間になろうと思うことで
人間としての器が広げられ、本当の意味で成長できます。


自分の至らなさを認める潔さと勇気


そして、人は誰でも、こんな経験をしたくないと思っています。
自分の失敗や至らなさを見たくないし
自分のせいで誰かを傷つけてしまったことを認めるのは辛いことです。

でも、痛みを知らずに人は決して成長しないし
人としての器も広がりません。
痛みの経験が少ないほど、薄っぺらな人生になってしまいます。
痛みが多い分、喜びも多く味わえる。

人生の成功者と言われる人の多くは、
数多くの痛みを背負ったり、経験しています。

へりくだる者は高められる

逆に、神様が戒めるのは
「自分ってこんなにできてる」という慢心です。

もう一つ、聖書のたとえ話を紹介します。

「二人の人が祈るために神殿に上った。
一人はファリサイ派の人で、もう一人は徴税人だった。
ファリサイ派の人は立って、心の中でこのように祈った。
『神様、わたしはほかの人たちのように、
奪い取る者、不正な者、姦通を犯す者でなく、
また、この徴税人のような者でもないことを感謝します。
わたしは週に二度断食し、全収入の十分の一を献げています。』
ところが、徴税人は遠くに立って、
目を天に上げようともせず、胸を打ちながら言った。
『神様、罪人のわたしを憐れんでください。』
言っておくが、義とされて家に帰ったのは、この人であって、
あのファリサイ派の人ではない。
だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。」

ルカによる福音書 18章9-14節


クローイは、このたとえ話の中の
徴税人のような気持ちを味わったことでしょう。

こういう人こそが、天から祝福されます。
その悲しみは、自分の人生を、世の中を
より良く変えていく原動力になります。

この辛い痛みを知ったからこそ、彼女は優しさに対して
他の誰よりも意識的になれるでしょう。
今度は、こんな状況になったらこうしてあげよう
ああしてあげようと、誰よりも配慮できるようになるはずです。

思いはエネルギーとなって相手に届く


もう決して会うことができなくなってしまったマヤに
クローイができることは何でしょう?

 この経験をばねにして、どんな人に対しても優しさを示すこと。
マヤにしてあげたかった以上の思いを込めて、
精一杯、相手に対して心を尽くすこと。

アルバート先生が教えてくれたように
たとえそれをマヤ本人に直接してあげられなくても
その優しさは波紋のように広がり
世界をほんの少しより良くしてくれるからです。

世界のどこかに住んでいるマヤも
クローイがした親切によって
良くなった世界から恩恵を受けることになるのです。


映画「ペイフォワード」のように
誰かから受けた親切を、親切をされたその人に返すのではなく
他の誰かにしてあげ、次に親切を受けたその人が
また別の人に親切のバトンを引き継がせれば
世界はどんどん良くなっていくという考え方を採用しましょう。

大きな目で見れば、クローイがこれから放つであろう
優しさのエネルギーは、巡り巡って
どういった形でかはわからないけど
形を変えて、必ずマヤに届くはずです。
そう信じて生きることが大事です。

どう生きるか自分で「選択」する


こんな言葉を見つけました。

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Let your past make you better, not bitter.

「過去の経験を生かして、ビター(悲痛)な人間にではなく
ベター(より良い)な人間になろう。」


やってはいけないのは、
自分を責めることにエネルギーを使うこと。

私ってなんて性格悪いんだろう
マヤは私を恨んでるに違いない
私は取り返しのつかないことをしてしまった・・・etc.

一時的にそうなることは避けられなくても
そうやって自分の非を認めた後どうするのか、
が人生の分かれ道です。

自分を責め続けて、苦々しい思いで生きるのか
この悲しみを原動力にして、もっと親切をする人間になるのか。
自分でどちらを取るのか、選択できるのです。

マヤは天使だったのかもしれない


あえてクローイーの親切を受け取る前に姿を消して、深く学ばせた。

以前の記事で紹介した本、
「小さな魂と太陽」のストーリーのクライマックス部分の
ちいさな魂と友情あふれる魂の会話が心をよぎりました。

こちらがその記事。

クローイーがちいさな魂で、マヤが友情あふれる魂だとしたら、
二人が神様のもとにいたときに
「優しさ」を体験するための約束をしていたんじゃないかと。

「優しさ」を体験するためには
反対の「意地悪」を体験する必要があります。

友情あふれる魂だったマヤは
クローイーが意地悪したくなるような姿で彼女のもとに現われ

アルバート先生から親切を教わるまでは
自分がいかに意地悪だったかに気付けない。

そして、その授業をきっかけに「優しさ」がどういうものなのか
自分がマヤにしてきたことを振り返って
自分がどうするべきだったのか
もっと親切にできるはずだったことを
まざまざと気付かされることになったのです。

そして、自分が意地悪だったことが深くわかった分
優しくするってどういうことなのか
マヤがいなくなってしまったからこそ
深く心に刻むことができたんじゃないでしょうか。

マヤは、縄跳びに悲しみを込めて、ひたすら飛び続けました。
クローイーは、池に石を投げることに切なさを込めて
ひたすら投げ続けました。
こうして、二人の心は、神様のもとで重なり合ったのかもしれません。

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最後までお読みくださり、ありがとうございます。

あなたの毎日が、あたたかな光に包まれて
良い氣に満ちて過ごせますように。


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