子どもとわたしに境界を作る②
子育てをしていると、
ここは行動や考え方を
改めさせるべきなのか悩む場面はたくさんある。
いわゆる「しつけ」
わたしには、
明確な基準があって、
それは、
健康と命に関わること
社会のルール。
このふたつは守るべきだと考えている。
健康と命。
これはもう当たり前に。
命に関わることは、
全力で止める。
道路を飛び出そうとしているとき。
駐車場で走り出したとき。
大声で、または体を使ってやめさせる。
健康に関わること。
大声でやめさせる必要はないし、
もう少し長期的に関わる。
つまり、基本的には決まりがあるんだけど、
時々は守らない日があっても大丈夫。
バランスよく食べる。
よく眠る。
心を健やかに保つために
ゲームの時間を決める。
時々は、ごほうびとして、
好きなものを好きなだけ食べたり、
ちょっと夜更かししたり、
朝寝坊したり、
ゲームの延長があったり。
それから社会のルール。
これがずいぶん難しい。
社会のルールだと思って、
「〜はしてはいけない」
と教えるけど、
それはわたしの価値観だったり、
わたしがそうさせたいだけだったりする。
だから時々、
それはわたしがそうさせたいだけなのではないか?
と自問することがある。
例えば、片付け。
それからお手伝い。
公の場は、ある程度、
そこを使う人が
気持ちよく過ごせるようにする必要はある。
家庭で言うと、共用のスペース。
ダイニングテーブルの上。
お風呂場。
おトイレ。
自分の場所は自分で思うようにしたらいい。
仕事や学校では、
そこの集団の規則に従う必要があるけど、
家庭は、
ゆっくり休んだり、
自分の好きなことをする場所だから、
やりたくないことはやらなくてもいい。
ただ、家庭もチームだから、
誰かが困っていたら、
余裕のある人が助けてあげられたらよい。
誰も余裕がなければ、
何もせずにみな休息すれば良い。
外部の人に頼る。
外食とか、テイクアウトとか。
そういうことを教えていきたいなと思うのだけど、
つい、わたしの価値観で判断してしまうことがある。
こういうことが子どもと
わたしの間の「境界」なんだと思う。
わたしと子どもの間の境界が分からなくなると、
子どもの領域を侵してしまう。
子どもは今日は疲れてゆっくりしたいと思っているのに、
「いつまでもダラダラしていないで、
手伝ってよ。」
と言ったり、
「机の上が散らかってる!
片づけなさい。」
と言ったり。
こういうことは子どもの領域への侵入だ。
親と言えど、
ちゃんと合図してから入るものだ。
「手伝ってほしいんだけど、できる?」
机のことは言う必要なし。
自戒をこめて。