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山とマインドフルネス
このシルバーウイークは、雷鳥沢キャンプ場(立山)に行ってきた。横浜の家を車で早朝3時半に出発して、4本のバスとケーブルカー、ロープウェイをトータル4時間待って乗り継いで、12時間後にやっと到着した。(トップ画像はみくりが池)
到着して待ち受けていたのは、この景色。立山連峰の山々に見下ろされながら、キャンプを楽しむ。キャンプ場は、満員御礼。懐の深いお父さん(山はお父さん、海はお母さんのイメージ)をすっかり信頼し、見守られながら、楽しんでいる子どもたち。キャンプ場はそんな印象だった。
夕方には、アーベントロートが楽しめた。シルバーウイークで混み合っている場内には歓声が上がり、まるで皆で何かのショーを見ているような夕暮れだった。
山々・・を前に、自然の偉大さを感じる。山を麓から見上げる経験は、己がいかにちっぽけかということを知らしめてくれる。自然の中で人間がいかに無力かということ。そして人間の努力で自然にどれだけなんとか食い込んでこれたか・・ということ。その苦労で流された人々の汗、血、そして命・・
山の瞑想が、カバットジンにCDや本で紹介されている。山の存在感や威厳を自分の中にも取り入れるという意図のものだ。
偉大な力、偉大なるな何か・・を、体感することが、自分の成長や回復に非常に役立っている。こうして、素晴らしい景色と自然と繋がることができて、幸せだ。
登山とマインドフルネス
山を登る・・登山というには、今回の雷鳥沢への道は、本物の登山家からすれば笑われてしまうかもしれない・・
初級者コースだ。だが、2泊3日分の荷物を背負って(私は自分の分だけの荷物なので7,8キロか?)登山素人が登るのは、楽勝とは言えない。
今回、役に立ったマインドフルネスがあった。それは歩行瞑想だ。
足の裏の感覚、足の感覚に意識を向けながら、ゆっくりと歩く。それが歩行瞑想だ。
近いといえば、この瞑想かしら・・(歩行瞑想の話はまた違うnoteで書きたい)
いつものパターンだと、遠くの目的地までまだ全然至っていないことを悲観して、苦しくなる。「あ〜まだ?」「もう、まだ?」健脚の7歳の娘からは、「ママはいつもだるい〜つらい〜といっている」と手厳しく指摘される有様(汗)
今回は、先はチラッと見るくらいにして、目の前の一歩、この一歩に集中するようにした。そして呼吸と、歩行を合わせた。数も数えて見た100まで数えたら元に戻る・・
ただそれだけ・・目の前の一歩、次の一歩。呼吸が乱れない程度に・・ゆっくり淡々と歩く。
すると、呼吸瞑想をしている時の「スッキリした感じ」「目覚めている感じ」が出てきた。具体的に体の感覚でいうと鼻がスッキリと通り、呼吸をお腹でしている。余計な雑念がなく、心がしーんとしている。
なんとも言えない安定感と幸福感。この感じが瞑想で続くと、味わうことのできる感覚である。今回、ルートが初心者コースで、かかる時間が1時間半とかなり負荷も少なかったかもしれないが・・
荷物を背負ってある程度の距離を歩くだけで、かなり大変なものだ。
それに、登山で頼るべしは、自分の身体だ。自分の足、体感、バランス感覚そういったものを信頼して委ねるしかない。そういう意味で、自分を信頼するしかない・・地点に追い込まれるというか。
落ちついて、バテることなく、恐怖も感じず(下りが怖いのだ)、愚痴も出ず(いつもはでまくる)、淡々と修行僧のように登る・降ることができた。
これいい! 再来週も懲りずに登山に行くのだが、この登山瞑想極めたい(爆)amazon.com(アメリカアマゾン)で少々キャンプ用品を買いすぎる・・ことも登山瞑想で収まるはず!
結局、どんな行動をしていても、瞑想することはできるのだ。熟練者たちの知恵を少しだけ、体感することができた。