インタビューという視点をコミュニケーションに導入する【伝える力】
#取材について #インタビューの心得 立花隆
#「追悼 立花隆の書棚展」#やま
#山下ユキヒサ
30代の頃だった、雑誌記者と親しく話す機会があった。
それも『週刊文春』。文春の記者だ。今時の文春砲ではなく、穏やかな楽しいひとときだった。
それは個人的なものではなく、当時スタッフとして働いていた職場への取材だった。
記者Sさんは私たちが勤務する特殊問題の相談所に資料を求めて来所した。
その相談所「エクレシア会」
(代表・和賀眞也)
その辺りのことは下の記事からどうぞ。
さて、先の文春Sさんだが、仕事だとはいえ、さすがだと思った。
私たちがリアル体験で知っている世界のことをよく知っているのだ。
もちろんSさんはそんな世界の体験はない。
ただ、記者の仕事として、一つの世界のことを調べ、取材し、知見を深め、発信する。
Sさんと話すたび、私たちはよく驚かされた。
「よく知ってますね」
「同じ体験者みたい」
私たちは驚きを言葉にした。
彼はカルト体験を持ち合わせてはいないのに、私たちがいた組織のこと世界のことを詳しく知っていた。
組織内で使っていた専門用語にも精通していた。
特殊な体験をした人々、大事件を引き起こした人、また人々が知らない世界のことを徹底的に調べ、取材し、紹介する。
これが記者の仕事だ。
取材対象に直接会う場合には、事前準備として相手のことを調べ、
著書があれば全て読み、
メディアでの露出があればチェックする。
この事前の準備にどれだけ汗をかいて取材に臨むかが、記者の仕事の質につながる。
*
「取材」と聞いて思い出すのは立花隆氏のことだ。
立花氏がある著書で取材に対する姿勢を語っていた。
インタビューする者は「聞くべきことを知っていなくてはいけない」という。
立花氏も取材を受ける。ある電話取材を受けたエピソードについて著書に記していた。
記者「〇〇の件についてどう思われますか?
立花「はい、どうぞ、、、(沈黙)」
記者「ですから、〇〇についてはどのような感想をお持ちですか?」
立花「そのような漠然とした問いには答えられない。もっと具対的な問いにしてください」
そんなやり取りのことが書かれていた。
ちょっと、感想を求めれば相手は勝手にペラペラと話してくれる。そんなふうに考えている記者は駄目だ、と結ばれていた。
取材では、インタビュアーは聞くべきことを知っていなくてはならない。
そのためには、事前の準備は重要だ。
少し荒っぽく言えば、
取材とは、インタビュアーの時間(業務時間)を使って、取材対象の時間を奪うことだ。
時間とは取材するものされるもの、その両者にとって重要なもの。
そんな時間感覚を持って準備する。
また、立花氏が言うように聞くべきことを知らないで臨めば、相手から深い話は引き出せない。
記者が仕事の深さを意識しなければ、その記事に深みは生まれない。
ありきたりのことしか聞けなければ、ありきたりの記事にしかならない。
〇〇作家に取材する記者が、
「先生の新刊は今、大変な話題になってますが、どんな内容なんですか?」
もし、そんな質問された作家は笑っちゃうくらい話す気持ちが失せるだろう。
まず、読んでから質問しろ!
と、なるのは必然。
もう一つ。
取材を受けながら
インタビュアー(聞き手)に
インタビュイー(話し手)が
「引き出される」という体験がある。
そんな感覚を体験することは私たちにも覚えがありますよね。
誰かとの会話や読書なんかで。
全くの偶然聞こえてきた他人の会話の、意図しない言葉。
ちょっとした一言で開けてくる世界もあったりする。
言葉にならない、言葉にできない、でも確かに知覚しているある感覚のことを、誰かが明確に言語化してくれる。
あーそれそれ。
そーなんだ、私の感じていたことは。
言いたかったことは。
もう痒くて仕方なかった、でも手が届かなかった背中の痒み。それガシガシと掻いてもらえるような快感。
(いや、もっと綺麗な話のはず。笑笑)
取材中そんな化学変化を体験できたなら、お互いにとって有意義で幸せな取材となる。
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2021年4月30日に逝去した、ジャーナリストで評論家の立花隆さん。
その一周忌を前に
「追悼 立花隆の書棚展」(入場無料)を文春ギャラリーで開催します。追悼 立花隆の書棚展」
会期:4月11日(月)~15日(金)
(初日は13時開場。最終日は16時閉場)
場所:文春ギャラリー
〒102-8008
千代田区紀尾井町3-23
文藝春秋西館1階
撮影◉薈田 純一
(わいだ・じゅんいち)
主催:「追悼 立花隆の書棚展」実行委員会(講談社・中央公論新社・文藝春秋)
◉いよいよ、明日15日までです。
立花隆氏の書棚を撮影された、
わいだ・純一さんの記事を掲載させていただきました。
ありがとうございました♪