東谷 奈美
目に見えないものを信じますか?多くの現代人と同じように、見えない世界のことは「非科学的」と一蹴して来たのですが、愛する人の死をきっかけに、目に見えない世界の広大さ、慈悲深さ、不思議さを身をもって体験することとなりました。41歳母、10歳と6歳の子供のこの世での冒険を綴ります。
私が泣いていると、娘が部屋に入ってきた。 小さな身体は心配そうに私に寄り添い、くっついてきた。 「ママ、パパが大丈夫だよって言ってるよ。」と彼女は言った。 まだ6歳で、想像の世界と現実世界を行ったり来たりする娘らしい発言だと思った。 「Jちゃん。ありがとう。」私は彼女を抱き寄せて、膝に乗せた。 「Jはパパの声が聞こえるの?」 「うん、聞こえるよ。パパには妖精がついていてね、トトっていうんだよ。Jにも妖精がついていて、リリ、っていうの。トトとリリは仲良しなんだよ。」
初夏の陽気に包まれ、四十九日の法要は優しくあたたかなOさんのお経に乗って滞りなく進んで行った。 また一つの節目を終えて、夫の死が確かに世界に刻印されていくようだった。 狭い家に親戚一同が集まり、夫が子供の頃の写真やビデオを観て、みんなで夫の話をした。 時間の仕業だろうか、悲しみはまだ全員に重くのしかかっていたけれど、葬儀の時とは違った、穏やかな時間だった。 その分、みんなが帰ってしまうとなんとも言えない寂しさが襲ってきた。 私は居た堪れなくなり夫の部屋へ行き、彼の断
気づくと朝になっていた。 朝一番でお花屋さんのCさんが来てくれた。 私たちが住む街のお寺の隣にあるお花屋さんで、この街に引っ越してから何かとお世話になっていた。友人のお誕生日や母・義母の母の日のお祝い、そして夫はいつも私のお誕生日と母の日には私のためのお花をCさんにお願いしていた。 Cさんは朴訥とした人だったが、彼の作るブーケは特異なワイルドフラワーなども使い斬新でありながら上品で、プレゼントする人のイメージを伝えると、いつも見事に表現してくれた。 玄関に行くとCさん
深い深い眠りに落ちた。 夢の中で一生分の体験を追体験したような疲れとともに朝を迎えた。 とても起きられそうになかった。 目を開けては寝落ちするような微睡の中で、何かが身体に入ってくるのを感じた。何かに乗っ取られたようだった。 全身が震え、エクスタシーのようだったが快楽の震えとは違っていた。 畏怖、畏敬の震えだった。 私は怖かった。畏れ多かったけれど、私の力で抵抗できるようなものではなく、受け入れた。受け入れざるを得なかった。 アリスがうさぎの穴を真っ逆さまに落ちて
私は「愛している」という文字列を眺めた。 「信頼している」よりずっと聞きたかった言葉。 こちらに戻って来られないのなら、せめて聞きたかった言葉。 「愛している」は雨の後の虹のように心にかかり、最初のメッセージを受けた時の拗ねた怒りのような、哀しみのようなもやもやとした感情は虹の彼方へ消えていった。 「愛してる。子供達のことは任せて。」 私は心で呟いた。 身体の中のあらゆる液体が涙腺に集結して、枕がずっしり重くなるほどの涙を流した。
「ホームベースが安心だから甘えがあって、いつもごめんという気持ちがあった。 奈美の懐の深さに甘えていた。 奈美が自分を責める必要は全くない。 仕事は現場だから緊急性が高くてそこにこたえることが多かったけれど、優先順位は家族。仕事は現場の人があとはどうにかしてくれると思っている。 どちらにしても、第一線を走り続ける気はなくて、半分で降りるつもりでいた。 でも家族に想いが残るからメッセージとして伝えてくれたのでは。 F先生はいつもこの能力はスイッチオフしているんだけど
電話を切ってからも、M子から伝わった言葉たちが私の周りをぐるぐると回遊していた。 地に足がつかず、頭がふわふわとどこかへ行ってしまいそうだった。 と同時に、腹の底から不思議な困惑と怒りがねじれたエネルギーが沸々と湧いていた。 どういうこと? 死んでるんだよね? どうやって? 信頼してるって何よ。 こっちは大変なのよ。 いい加減にしてよ。 早く帰ってきて。 私のこれまでの世界をひっくり返してしまうような出来事に対して、頭が吹き飛んでいきそうな畏怖の念を持ちながらも、疑念
「あと、奈美のこと、信頼しているって。 私も慌ててメモしたんだけど、こんな感じだったと思う。 聞いてみて、どう?」 「どうって。。。。。ちょっとよく分からない。」 「そうだよね。。。F先生も、ちょっとノイズがあるし、背景が分からないからうまく拾えていない部分もあるかもしれないけど、って。 奈美にとって意味があるといいんだけど。。。」 「はぁ。。。」 何が起きているのかが全く分からず、言葉を出せないでいた。 りんごの木も、食べ物のリクエストも、南米系の友人も、富
電話をかけると、M子はすぐに出てくれた。 「もしもし?奈美?」 「あ、うん、なんか、メッセージって。。。」 「びっくりしたよね。今、大丈夫?」 「うん。」 「さっきね、F先生から突然電話かかってきたの。Mさんからメッセージを受け取ったって。」 F先生は、私とM子が東日本大震災を機に始めた在住外国人向けの防災教育の活動を通じて出会った、防災学の分野でお世話になっている国立大学の教授だった。私もM子も二度ほど、仕事で会ったことがあった。 「F先生?なんで?」 「な
そのままソファで寝落ちして、起きたら夕方だった。 夏至が近く、キッチンの窓から入り込む光はもう19時近いのに明るかった。 目の奥には中途半端な鈍痛が居座っていた。 朦朧としながら翌日の四十九日のお供物についてぼんやりと考えていた。 所謂お供物はすでに用意してあったが、それでは足りない気がした。 M、何をお供えして欲しい? お誕生日の日に、「何作って欲しい?」と聞いているような不思議な錯覚に陥った。 スマホを見てみると、M子から何度かの着信とラインが入っていた。 「
ベランダのトマトを眺めながら返信した。 「ううん、なんかお祓いとかも考えたほうがよいのかな、とか、どうしたら子供たちにとってもっと居心地が良くなるのかなとかちょっと考えてたの。」 でも、本当に聞きたいのはこんなことではなかった。 戸惑いながら、書いては消して、を繰り返し、付け加えた。 「あとは彼の声が聞こえたりするなら知りたいなとか、笑」 心の底からに知りたかったが、「笑」をつけないといけない気がした。 とうとう気が触れたかと思われるのが嫌だった。 送って、緊張し
送ったことを後悔しながら、メッセージを取り消そうか悩んでいると、「既読」になり、すぐに返信がきた。 「奈美、変なことじゃないよ。 変な感じは全く無かった。 むしろ、いい気が満ちていた感じ。 トマトがよく育つのが納得だったよ。 でも人の出入りがたくあると気になることがあるのかな?」 ありがたかった。 不思議なウイルスの時代になってから、夫はベランダで家庭菜園を始めていた。ミニトマトやピーマン、ししとうなどを植えて、子供たちと水やりをして、毎日声をかけながら育つのを
頭がクラクラし出して、私はソファに横になった。 何が何だか分からなくなっていた。 夫が誰なのかも、自分が誰なのかも。 生きている理由もわからなかった。 このまま、何も分からないまま生きていくのかと思うとただただ消えたかった。 何がいけなかったのだろうか? 一生懸命、善良に生きてきたつもりだったのに、何がいけないというのだろうか? なぜこんな目に遭わないといけないのか? この家に何か悪霊でもいるのだろうか? お祓をした方がいいのだろうか? そんな思考がグルグ
そのまましばらく夫の机で呆然としていると、数週間前に会社の同僚が持ってきてくれた、彼の会社の机周りのものが入った箱が目に入ってきた。 私はそちらに何か証拠がないか、物色しだした。 名刺、芸能事務所からの年賀状、使いかけのノート、現場で使っていたであろうサンダル、洗面用具、文房具などとともに、吸いかけのタバコの箱数箱とライターが出てきた。 私が知る限り、彼はタバコを吸う人ではなかった。 付き合う前に、吸っていた時期はあったらしいが、20代前半に付き合いだしてからは、少な
いくつかの箱の中を漁っていると、見覚えのあるアルバムが出てきた。 約4年前の彼の不惑のお誕生日に私が子供達と一緒に作ったアルバムだった。大切そうに他のものとは別に置いてあった。 たくさんの家族の写真と共に、一ページ、一ページ、子供と考えたメッセージが書いてあった。 40歳のお誕生日おめでとう!! いつも最高のお父さんとして一生懸命色々とやってくれてありがとう。 抱っこしてくれてありがとう。 お風呂に入れてくれてありがとう。 肩車で、高いところを見せてくれてありが
四十九日が迫っていた。 私は夫を感じたくて、夫の部屋の、夫の机に座ってみた。 夫はなぜ死んでしまったのだろうか。 本当は幸せじゃなかったのだろうか。 私といるのがもう嫌だったのだろうか。 いつも一杯一杯で、疲れていて、夫のことを大切にしていなかった私から逃げたかったのだろうか。 彼が消えてしまった何かしらの糸口が見つかるのではないかと、探偵のように夫の机を物色し出した。 夫の机の後ろの棚に、いくつか黒い収納ボックスが収められていた。 私はその一つ一つを開けて、取り