見出し画像

ちょっとした“音”が幸福感を連れてきた

ハモっていた。
それは確かに、ハモっていたのだ。盛大に。


日の出が眩しい朝。冷たい空気に揺らされながら、通勤電車を待っていた。寒い。本を読みながら、電車を待つ人の群れに加わっていた。黒やら紺やらの重たい色の上着を着た人たち。なんだか、そこの空気も重たい。色覚的にも、冬はしんどい。

電車が近づくと、ホームにはアナウンスが流れる。「まもなく列車が到着します……」このアナウンスは、片側は男性、もう片側は女性の声で流れる。誰の声かは知らないが、聴きやすいはっきりとした発音と流れ続けるフレージングに安心する。プロだ。
毎日のように聞いているアナウンスは、列車が定位置まできたら流れるようになっているのだろう。電車のタイミングによって時間差で流れていく。少しだけノイズのようで、どこか世の喧騒のようなアナウンス。それが苦手で、ズレた声たちを聞くとビクッと身体が反応してしまっていた。

それが、今日はハモった。
同じタイミングで、ほぼ同じ抑揚で。それは、双子が同時に喋るような感覚だった。思わずニヤついてしまう。だって、耳に心地よい音だったから。いい音を聴くと自然と心がワクワクする。
これは、どのくらいの確率で起こるのだろうか。電車のタイミングが1秒でもズレたらこうはならない。重なったふたつの声は、2人で話しているとは思えないほど共鳴して、広がっていく。2人の声の親和性が高いのもあるだろう。決して、交わることはないけれど、ただ真っ直ぐに声を鳴らしていく。生の人間にだって、ここまで揃えるのは難しいはず。ブレス、話すスピード、抑揚、文字の発音。少しズレただけで、全てが台無しだ。
それが揃った。しかも、とっても心地よい。胸の片隅がほっこりとした。
マスクをつけていてよかった。しばらくずっとニヤついたままだった。


ほんとに何気ない日常で。人によってはスルーすると思う。そんなことって鼻で笑われるかもしれない。でも、“そんなこと”みたいな奇跡が日常にはたくさん起こっている。 私たちが自覚していないだけで、世界にはちょっとした“いいこと”が落ちている。ふふっと笑える何かがこの世界にはたくさんあるのだ。

次、2人の揃ったアナウンスが聴けるのはいつになるだろうか。こっそりと耳を傾けていたい。

いいなと思ったら応援しよう!